2011年10月9日日曜日

38:日独の脱原発を実現する人々:松井英介医師とドイツ放射線防護協会(追加あり)

ご第37回で紹介したZDF(ドイツ第二公共テレビ)の原発労働者のレポートにも関連しますので、日独の脱原発を実現する人々について紹介の補足をしておきます。まずはこの書籍の著者です。



















 http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA このドイツのテレビの報告の終わりに被曝の危険性について証言している松井英介医師(放射線医学/日本呼吸器学会専門医)です。
ご存知の方も多いでしょうが、この方には6月に出版された上の著作があります。長い間肺癌やアスベストの問題について取り組まれてきた、わたしの尊敬する医師です。
放射線内部被曝についてもその危険性を研究されていたところに、フクシマの事故が起こり、急遽書き下ろされたとのことです。
 なにしろ、事故のあと、いわゆる「専門家」による「この程度では健康に害はない」とのデマをマスメディアが無批判に大量にまき散らしましたし、そもそも「内部被曝」あるいは「体内被曝」という言葉そのものを、新聞記者たちが全く知らない状態でした。それに対する本物の専門家からの警告の啓蒙書がこれです。

低線量でも内部被曝が長期的にもつ危険性を非常に広い世界的な視野で判り易く解説してありますので、まだの方は是非お読み下さい。
ここで、目次も見られます:
http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/686

本書を読めば、地球そのものがすでにどれだけ汚染され、フクシマの事故により日本の住民が「まとめて内部被曝のモルモット」になってしまっていることに気づかされるでしょう。

さて本書にも巻末に資料として全文が収録されていますが、フクシマ事故の直後である3月20日付けでベルリンから急遽出された文書があり、これも食物からの内部被曝を警告する専門的な文献として、ご存知の方は多いでしょう。松井医師らが翻訳して下さったものです:

「ドイツ放射線防護協会から:チェルノブイリの経験に基づき、野菜、飲料等についての提言」
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/04/blog-post.html

どうでも良い裏話ですが、この文書を放射線防護協会のトーマス・デルゼーさんはまずわたしのところに送って「君なら翻訳できるだろう」と問い合わせてきたのです。彼らとは市民運動でもう20年近い友人なのですが、「そんなアホな、できるわけないだろう。専門家でしか無理だよ」と返事をしたものです。そこで相談の上、共通の知人である松井医師に翻訳をお願いしたのです。
事故直後で松井医師も大いそがしであったのですが、大勢の方々が分担して翻訳され松井医師が監訳者として非常に厳格な翻訳が、しかも早期にできました。この場を借りて、わたしからも翻訳者のみなさまにお礼を申し上げます。

このドイツ放射線防護協会については、あまり日本では知られていないので紹介しておきます。ドイツの反核市民運動のなかでは、特別な位置を占める市民団体です。その屋台骨がこのお二人です。
アネッテさんとトーマス・デルゼーさん。2011年4月6日、チェルノブイリ25周年会議の受付でのスナップ/ベルリンフンボルト大学医学部

 この団体はチェルノブイリの事故のあった1986年の12月、当時の西ベルリンで発足しました。当時のドイツはちょうど現在の日本と全く同じで、政府や自治体の発表する食品による放射線汚染に関する情報が不足し、また信用ができないため、数人の化学者と核物理学者たちが、食品の正確な線量測定値を公表する市民運動を立ち上げたのです。まずは高価な放射線測定機器はチャリティーコンサートからの寄付で購いました。

それからは連日のように全国から持ち込まれる各種の食料品の測定値を公表し、翌年1月から月刊機関紙の「ストラーレンテレックス/放射線テレックス」で定期的に記録公表してきました。この機関紙は今でも定期刊行されており、一貫して最も信用される専門誌として定着しています。
トーマスさんは当初からの編集長です。また1999年からは東独出身で高名なセバスチャン・プルークバイル博士(医学物理学)が協会の代表となり、編集にもかかわっています。(現在彼は日本を訪問中ですが、報道で流布している名字のPflugbeil をプルッグベイルと表記するのは間違いです)

彼は、東独の時代に政府批判で物理学の学位を拒否され、統一後博士となった経歴があります。1989年の東独の民主化をもとめる「新フォーラム」には立ち上げから参加し、歴史的な非暴力民主革命(壁の崩壊)の中枢となりました。壁崩壊後は東ドイツ最後の政権で無任所大臣となり、東独に建設されていた彼の故郷でもあり、大学もあるグライスヴァルトの原子力発電所の資料を整理し、統一後に旧東独の原発を全廃に持ち込む基礎を作り上げました。このおかげで旧東ドイツ地域は、西ドイツに先立って核兵器も含む完全な非核地帯を実現したのです。(これについては、梶村「政権を揺さぶるドイツ反原発運動」『世界』2011年1月号で触れています)。

会議で司会を務めるプルークバイル博士
 また、ドイツ統一後に「チェルノブイリの子どもたち/ Kinder von Tschernobyl」という市民団体の代表として、主にベラルーシの被曝した子どもたちのドイツでの治療と保養に奔走しました。
日本でも多くの市民団体が同じようにチェルノブイリの子供たちを日本へ招待しましたし、まだそれも続いていますが、それらの多くが、このドイツの市民運動の経験から学んだことは少なくありません。ドイツでもこの運動は根気よく継続されています。多くの子どもたちの命が救われ、健康がたもたれたことでしょう。

確か1994年、高木仁三郎氏が合いたいとおっしゃるので氏をご自宅に訪ねたことがありますが 、それが直接お会いしたはじめでした。高木氏も信念の人で頑固者でしたが、プルークバイル氏も高木氏に輪をかけたような頑固で誠実な人物ですので、この会談はなかなか印象深いものでした。日独の反核の巨人の出会いであったことは間違いありません。その時の写真がないのは残念です。
フクシマ事故について報告する筆者


さて放射線防護協会は、厳しい財政難にもかかわらず、2006年に続いて、今年も世界中から専門家を招いてチェルノブイル25周年国際会議を開催しました。
旧ソ連邦からの参加が多いので、いまだに旅費などを主催側が負担することになるからです。20年以上に渡って頑固に運動を続けているドイツの知識人たちには頭がさがります。
今年の会議は4月6日からでしたが、直前になってトーマスさんが、また電話で「君がフクシマの現状について会議の冒頭に報告する予定を急遽プログラムに入れたから、よろしく頼む」と言ってきました。今度は専門家ではないと言って断れないので承知しました。事故直後からは取材される立場になっていたので、原稿もなしにメモだけで話したのですが、フクシマ事故に直面している日本の情勢を述べた後で「このような事故を起こしたことを、日本人の一人として、また大事故が起こることを知っていた人間のひとりとして、わたしは深く恥じています」と述べました。
後で、フランスのルモンドディプロマチックの高名な女性記者が「感動したので書きます」と言っていましたが、どうなったのか。

この専門家の会議では、難解な議論が多いのですが、数人のロシアとウクライナの医師たちの報告に、被曝地帯では、精神障害だけでなく事故後生まれた子どもたちに知能障害が増加しており、これは胎内被曝などによる脳神経障害であるとの報告は、やはり衝撃的でした。このことは、上記のドイツのテレビで松井医師もひと言だけですが触れられている通りです。
これが、25年後のチェルノブイリの現状です。フクシマの事故とその影響はまだ始まったばかりなのです。ほんの今しがた始まったばかりなのです。事故の本当の影響はこれから真綿で首を絞めるように、とてつもない時間と空間の次元で日本と世界を襲います。
このような、人間の通常の知覚では捉えきれない災害の危険性を、まずはきっちりと認識しない限りは、まともな対策など立てることは到底できません。

 ドイツ放射線防護協会:
 http://www.strahlentelex.de/

機関紙が最近電子化されたそうです。同紙はかなり以前から携帯電話などの「電磁波スモッグ」についても詳しいレポートを続けていますのでその専門家にも必読文献であるとのことです。是非購読して下さい:
http://www.strahlentelex.de/aktuell.htm

チェルブイル25周年国際会議のアブストラクト(82ページ)は主に英独語で
ここでダウンロードできます:
http://www.strahlentelex.de/tschernobylkongress-gss2011.htm

(10月13日追加)
日本の市民運動が協賛し、松井医師、プルークバイル博士たちも参加した、10月12日の東京での会議の資料がここでかなり豊富に読めます。ご参考まで:
http://www.crms-jpn.com/art/140.html

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