2012年3月30日金曜日

80;NHKが ZDF「フクシマの嘘」のハーノ記者にインタヴュー/的を射た「信頼の喪失という災害」

わたしは全く知らなかったのですが、NHKが3月12日のBS1の朝の番組「世界の扉」で、ドイツ公共第2テレビ「フクシマの嘘」を制作した→ヨハネス・ハーノ特派員にインタヴューをしています。
 大滝ベルリン支局長のドイツのフクシマ報道の紹介から始まるこの番組は、同じ公共放送でありながらなぜ、こんなに落差があるのかと自己検証と反省を目的としたような意外な番組です。是非ご覧下さい。
NHKは昨年末に紹介しましたように、センセーショナルともいえるレポート→「停戦量被曝・揺らぐ国際基準」を放送し、国際組織ICRPの虚構の基準値を暴いて日本の原子力村が拠って立つ土台を揺さぶる快挙を行いましたが、今回のインタヴューはNHK内部の危機感を表現したものではないのかと思えます。
→「原発のない社会をめざす 」というブログからインタヴューの書き下ろしの一部をお借りします;


Q震災直後に賞賛された日本人のイメージに変化は?

ハーノ記者

変わりません
ただ、一年前とは大きく印象が変わったこともあります。
多くの被災地に行きましたが
被災者はもう政府を信頼していません
電力会社も信頼していません
メディアも信頼していません
置き去りにされたと感じています
被災者同士で助け合い、支え合っていますが
国のエリート達に見捨てられたと思っています
それが以前と印象が変わった点です
この国のエリート達はもう何もしてくれないんだと
それが私の印象です


Q日本の政府や東電・メディアにひとこと
 
ハーノ記者

重要なのは誠実さです
今回の災害は四つです
地震、津波、原発事故、そして信頼の喪失の四つです
もし政府や電力会社が誠意を持っているのなら
日本のためになることしかしてはいけません
もし彼らが国民の信頼を取り戻したいなら
全て包み隠さずに究明するべきです

   

ここ一年間、日本人記者を尻目に何度も被災地に足を運び、ここでもすでに紹介をしましたようにすぐれたルポを制作し続けた人物の、これらの言葉には重いものがあります。特に四つ目の災害として「信頼の喪失」を挙げているのは、的を射ています。信頼を喪失しているのは「置き去りにされた」と感じている被災地の人々だけはありません。日本の政府とメディアを含むエリートの大半が国際社会からも信頼をすっかり失っているのです。
このインタヴューはそのことをNHKが自覚し始めていることの証左であればと願います。

ではメディアが信頼を取り戻すには何が必要なのか? ハーノ記者はこの番組の終わりで、身を以てそれを示しています。3月11日、気仙沼で黙祷する市民たちの哀悼の姿に共感して涙するジャーナリスト。この誠実さがなによりも大切なのです。そして、わたしには日本の記者たちには、誠実さへの勇気が抜けているように思えます。

そういえば、3月11日のZDFの夜のニュースで、彼は気仙沼からの実況で「日本は震災一年後の今、ポジティブな文化的な転換点にある」との旨の報告をしていたことが思い出されます。この発言の背景にはこのNHKのインタヴューがあったのかもしれません。であれば、彼もこの日のインタヴューに勇気づけられたのかもしれません。確かめてみたいものです。

 

 


2012年3月28日水曜日

79:TBS番組予告「原発事故“除染の盲点"」/放送後の追記解説「車とエアコンは放射能物質集塵機器」測定値の記録を

本日の水曜日の22時54分からTBSのNews23クロス(これは筑紫哲也さんの後続番組)でドイツから三澤ベルリン支局長が以下の報告をします。

実はチェルノブイリの事故の後、1400キロ離れた旧東ドイツの「除染の盲点」で内部被曝によるガンで7人の労働者が次々死亡しています。なぜこのようなことが起こったのか?
これから日本でも起こるで可能性が高い、ドイツでもあまり知られていない史実のルポです。7、8分の短いルポですが、衝撃的な内容ですからご覧下さい。フクシマを体験中の日本でも多くの人が震撼するでしょう。

前回のドイツZDFの「フクシマの嘘」に負けないように、今度は日本のTBS/MBSのベルリン支局が「ドイツの被曝事実を暴く」驚くべきルポですので是非ご覧下さい。

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3月28日、水曜日、22:54 NEWS23クロス
メインキャスター:膳場貴子 
なぜ死者が?原発事故“除染の盲点"意外なホットスポットとは…

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なを、前の第78回での大沼安史さんへのわたしからの応答は、まだ続きますが、今日は以上のお知らせまで。

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さて、予定通り放送された後の追加です。
ルポの本体は→「チェルノブイリ事故後の汚染の盲点」とのタイトルで放送されました。いまのところTBSのHPで主要部分は見れますのでご覧下さい。
放映の全部は→「なぜ7人も?原発事故除染の盲点」をご覧下さい。


動画部分の内容をTBSのHPから保存させていただきます;


  福島第一原発の事故を受け放射性物質の除染作業が本格化していますが、実はある「モノ」の存在が見落とされている可能性があります。チェルノブイリ 原発事故の際、1400キロも離れた場所で除染作業をしていた作業員が相次いで7人も死亡しました。一体、何が起きていたのでしょうか。

 友はもう何も語りません。

 「そこに墓があります」(オットー・ツェルナーさん)

 オットー・ツェルナーさん(79)。今から26年前、ある作業に従事したことで次々と仲間を失いました。この場所には同僚だったノイキルヒさんが眠ります。

 「彼はがんで亡くなりました。原因は放射能です」(オットー・ツェルナーさん)

 1986年4月、旧ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故。破壊された原子炉から大量に放出された放射性物質は周辺の国々を汚染しました。この時、放射性物質を運んだのは風や雲だけではありませんでした。

 「東ドイツからの車両は全て徹底的にチェックされます」(ドイツのTVニュース 1986年5月)

  事故の直後、原発から1400キロほど離れた東西ドイツ国境の様子。多くのトラックが足止めされています。当時、ウクライナや東欧から農産物など安い物資 が西ドイツに運ばれていました。しかし、西ドイツは放射能汚染を恐れ東側からの入国を拒否、車両が列を成しました。そこで、東ドイツ政府はツェルナーさん ら運送公社の職員8人に「トラックの除染」を命じたのです。

 「ガイガーカウンターを渡されて私たちが放射線量を測定するよう指示された。測定器はけたたましい音を鳴り響かせていたが、耐えられずに除染作業中は音を消していた」(トラックの除染に当たったオットー・ツェルナーさん)


   すでに放射性物質に汚染されていたトラック。しかし、作業員たちはマスクなどで防護もせず、モップを使い除染の作業をこなしました。その数は100~200台に上るといいます。

 任務は洗車だけではありませんでした。エンジンに送る空気をろ過する「エアフィルター」の交換です。このフィルターにはほこりや細かいちりなどが付着します。

 「フィルターも放射能に汚染されていた。外から空気を吸い込むので放射能がたまる。外側よりフィルターの方が汚染されていた」(オットー・ツェルナーさん)

 除染作業は2か月で終わりましたが、3年後に悲劇が始まります。まず、フィルターを交換していた作業員が肺がんで死亡しました。まだ30代でした。10年のうちに除染の作業員8人中6人が亡くなりました。全てがんでした。

  作業員の死亡と放射性物質の因果関係はあるのか・・・そもそもトラックはどれほど汚染されていたのか・・・ある場所に原発事故後の記録が残っていました。 当時、トラックは国境にほど近い東ドイツのサービスエリアにも集められていました。そして、交換されたエアフィルターは倉庫に保管されていたといいます。 山積みになっていたというエアフィルター。扉の前で、東ドイツ政府の命令を受けた放射線の専門家たちが線量を測定していました。

 「倉庫の入り口で測定したところ、毎時20ミリシーベルトの放射線量を記録した」
Q.1時間あたり?
 「そう、1時間あたり。とても高い数値です」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)

 当時のメモが残っています。2レントゲン、つまり20ミリシーベルト。これは国際的な基準で原発作業員が年間で許容される被ばく量に相当、それを1時間で浴びてしまう計算です。

 「この線量を一度に浴びると遺伝子に異常を起こすおそれがある。すぐではないが、3~4年後に甲状腺がんを発症するおそれも出てくる」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)

 その後、ツェルナーさんと一緒に除染に当たっていたノイキルヒさんも直腸がんと前立腺がんを相次いで発症して亡くなりました。除染に当たった作業員8人のうち7人ががんで死亡したことになります。

 「私は日本でも被害者が出るのではと不安を感じている。大量の放射線を浴びれば病気になり、がんで苦しんで死ぬことにもなる。そう考えただけでも気が重くなる」(除染作業に当たったオットー・ツェルナーさん)

 原発事故の現場から遠く離れた場所で起きた「被ばく」をどうとらえるのか・・・警鐘が鳴らされています。

  ツェルナーさんの上司のノイキルヒさん。彼が2つのがんを同時期に発症したのは事故から9年後の1995年でした。ノイキルヒさんは「除染中の放射線が原 因」として補償を求め、裁判所に訴えます。そして98年、裁判所は「放射線ががんのリスクを高めた」などとして一度は労災を認めました。ノイキルヒさんは ドイツで初めてチェルノブイリ事故の被害者となったのです。ところが、ノイキルヒさんの死後、2001年に一転して2審が1審判決を棄却。その理由は学問 的に「放射線の量ががんを発症するには十分と言えない」というもので、放射線被ばくをめぐる裁判の難しさを浮き彫りにしています。(2822:15
 


さて、スタジオでは上記の終わりにある、補償裁判の判決について解説がなされています。

少しわたしのほうから要点を解説しておきますと、登場するツェルナー 氏は除染にあたって監督の立場にあり、語っているとおり放射線測定を担当してフイルターなどに直接触れていません。また最後にガンが発病したノイキル匕氏は、この運送公社の社長で除染に立ち会っていた人物です。
さてこの写真が、ノイキルヒ氏が労災認定を請求し勝訴した第一審の判決文と、彼が亡くなってから奥さんが原告となり敗訴した第二審の判決文です。

ノイキル匕さんへの1998年と2001年の判決文


両方の判決文を読んでみると、裁判所の判断の基準が全く対立するものです。
初審では 判決理由で stochastische Strahlenschäden(専門用語;確率的放射線障害)という考えを採り上げ、それを論理的には極少の低線量被曝でも障害をもたらす確率が高く、この場合は因果関係が立証できるとの原告側鑑定を採り上げ、労災を認定しています。
ところが二審の最終判決では、原告に発症した合計三種(番組の解説では直腸、前立腺と二種とされていますが、最期は肺に至った三種)のガンが除染作業による原因であるとの専門家の鑑定を排除し、病理学的にはその立証が困難である(すなわち原因であるかもしれないしそうではないかもしれない)との被告側鑑定を採り上げ、一審判決を棄却しています。
この判決に関して当時のドイツのメディアは「すなわちガンになったのは運が悪かったとあきらめよとの冷酷な判決だ」と批判しています。

すなわち、この事例での対立する二つの判決は、まさにICRPの主張を巡る解釈論争をそのまま反映したものです。 フクシマ後の日本でも近いうちに争われる補償裁判の前例となる可能性が高いと思われます。

さて、判決はともかく、この事例の教訓は、日本でもフクシマの放射線で汚染された、車両の除染、特に大小のエアーフィルターの汚染による被曝が気づかないうちに間違いなく起こっており、またエアコンのフイルターの放射能汚染もかなり蓄積しているので、関連事業の作業員たちの内部被曝に厳重な注意が必要である ことです。またもちろんフイルターのある車とエアコンは、フクシマ以降は日本ではどの家庭でも直ぐ身近にある「放射能物質集塵機器」 と化しているとの自覚との認識が、まずは必要であると思います。

すでに神奈川県で事業用エアコンのフイルターを洗浄した工場の排水溝がホットスポットになっていた事実があるとおりです。
したがって、日本の自動車とエアコンの整備事業に従事している現場のみなさんは、放射能測定を厳重にして、必ず測定値の記録を残すようにしてください。数年後に発病した際には労災認定の決定的な証拠になるからです。

当時の東ドイツの除染の杜撰さは事実であるとしても、低線量被曝の危険度は今の日本のほうが桁違いに広範囲であることも事実です。警戒しないと中長期的に犠牲者の数が桁違いになることは間違いありません。今や日本は低線量内部被曝の歴史的実験地区になっていることを自覚して下さい。
これがチェルノブイリから遠く離れているにもかかわらず、悲惨な若死にを強いられたドイツの少なくとも7名の犠牲者から学ぶことの基本であると思います。

 フクシマの事故の直後、唯一の生き残りのツェルナー氏は、地元のメディアに対し「日本でも同じ犠牲者がでることを憂慮している」と繰り返し述べています。その彼の声が一年後の今、ようやく日本に届いたのです。耳を澄まして下さい。
(以上28日夜の追記)

昨年のフクシマ事故発生直後の2011年3月15日には地元の公共テレビMDR放送が→「最後の生存者」、また3月28日には週刊誌スパーイルが→「チェルノブイリをまやかした東ドイツ」と題して、今回のTBS報道の登場人物たちの声を報道しています。ドイツ語ですが関心のある方はご覧下さい。
(29日追記)

ノイキルヒ氏の墓参をするツェルナー氏 2001年 写真DPA







2012年3月25日日曜日

78;TBS「メルケル首相の『脱原発』の裏側」とZDF「フクシマの嘘」/大沼さんに応えて追加情報

日本のTBSが昨日3月24日の報道特集で→「メルケル首相『脱原発』の裏側」と題する金平茂紀記者のドイツ取材報告をしていますので是非ご覧下さい。
この番組にはこのブログで紹介してきたゴアレーベンの→マリアンネ・フッリツェンさんから始まり、多くのドイツ市民が登場しています。読者はこの番組の→取材現場がここであることにも気づかれるでしょう。「脱原発の裏側」というより「背景」とした方が良いのですが、この取材に便乗してマリアンネさんの資料館を訪ねたのですが、今やドイツの歴史文化としての反原発運動の発祥の地のひとつ「自由共和国ヴェントラント」のパスポートを長老のマリアンネさんから発行してもらって喜ぶ金平記者の写真をお目にかけましょう。
 
Shigenori Kanehira, Marianne Fritzen. Photo:Taichiro Kajimura


また、この共和国の旗は昨年のゴアレーベンの→核燃料廃棄物阻止闘争の報告のフイナーレで借用した上のものがそれです。
この番組は短いものですが、ゴアレーベンから教育現場、緑の党からグリーンピースまで幅広く取材し、金平記者はフクシマ事故後の日本の情勢との「全く反対向き」とも言える落差に驚いているようです。

なぜこのようになったのか、この問いかけに答えるような取材と番組をさらに続けてほしいものです。簡単ではありませんが、まずこの取材で原発問題ではメディアそのものも日独では大きな落差があることを、きっちりと認識して表現していることは、まずその一歩といえましょう。

また一方で、お報せしましたように、ちょうど同じ頃にドイツの公共第二放送ZDFが日本で取材した →「フクシマの嘘が日本語字幕入りで見れますので、未見の方はこちらも是非ご覧下さい。メディアの批判力の落差が顕著です。これはまた、社会のすなわち市民の批判力の落差でもあることが、この日独の同時期の番組をあわせて見れば明らかになっています。

市民の批判力の落差を現している写真を繰り返しになりますがもう一度挙げておきます。
マリアンネさんたちの資料館にあるゴアレーベンの闘争の古い写真です。農民のトラクターの看板にあるのは「原子力経済;親父は金持ち、息子は貧乏、孫は早死に」との予言です。日本は市民の批判力の貧困のため、これがフクシマで現実になってしまいました。
この苦く厳しい現実に打ち克つためには、直ちに原発を全廃し原子力経済から抜け出すことしかありません。それが実現できないようでは、日本は間違いなく放射能汚染で亡びます。世界にとっても深刻な取り返しのつかない危機をもたらすことになります。

追加です。
この報告を大沼安史さんが早速ブログで→「ドイツでの裸の抵抗を学ぼう!」と 以下のように紹介されています;
 
大沼 TBSの番組で、ゴアレーベンの農民たちが、裸になって抵抗の決意を示した「裸のカレンダー」が紹介されていた。
 トルストイが「復活」を書いて、印税でカナダに移住させた、ロシアの非暴力・平和主義のドホボルの人たちの抵抗手段も、裸になっての抗議だった
 フクシマでも、裸での抵抗が始まるかも知れない!

さすがに大沼さんだけあって歴史的洞察が深いですね。
そこで追加です。前にフクシマ一周年の抗議運動を報告でほとんど日本では知られなかった→ポーランドでのデモを紹介しました 。ドイツからも応援に行った少数の抗議行動でしたが、さすがはトルストイの伝統のあるスラブ系のポーランドだけあって、この日、ゴアレーベンのマリアンネさんも驚くばかりの裸の抗議行動がありました。

フクシマ一周年。ポーランドでの反原発デモ 写真DPA

三つ目は見事な芸術的手仕事だ。写真DPA

ドイツの通信社が配信してシュピーゲル誌や大衆紙なども電子版で報道していましたが、下の写真に「三つ目は見事な芸術的手仕事だ」とありました。放射能での奇形を警告する文字通り強烈な裸の抵抗運動のひとつです。
ポーランドではドイツ国境近くに二基の原発建設計画があり、国境を超えての反原発運動の連帯が始まっています。

さて、大沼さんの『世界が見た福島原発災害』の→第三巻「いのち・女たち・連帯」が先日発刊されました。大沼さんが驚くべき情熱と怒りで休みなくサイバーテロにも負けずに、毎日「世界中の報道のデスク」を行っていることはよく知られていますが、それを「編集長」としてまとめあげた第三弾です。わたしのドイツ情報も子気味よく引用され視野の広い鋭い分析をなさっています。膨大な英文情報の行間を読む能力の持ち主なので、日本の外務省も必読書としているとの噂も耳にしました。それはそうでしょう必ず情報源を明示してあるからです。
貴重な記録として推薦させていただきます。フクシマは21世紀の世界的大事故なのです。この災害は一年を過ぎた今でも、まだ始まったばかりの過酷事故です。本書を読めば世界中の危機感がよく理解できます。日本の霞ヶ関は台風の眼のように無風であり、また情報のブラックボックスそのものです。直面している事態の深刻さを市民も、政治家もメディアもまだまだ自覚できていないのです。

2012年3月16日金曜日

77;ドイツ3・11フクシマ追悼デモ/世界の人々は行進し手をつなぐ


1。梶村発案「なでしこ世界選手権制覇の旗」


2。ドイツで最近定着したロゴ

     3。  Badische Zeitung Foto: Thomas Kunz

 4。グローナウ核燃料施設前Fotografaaa-West/PubliXviewinG


少し遅くなりましたが、第74回でお報せしたドイツでの3・11東日本大震災一周年追悼デモの写真をいくつかお伝えします。
そのまえに、我田引水ですが、今回のデモの市民運動や報道によるおびただしい数の写真を見ていて、ハタと気づいたことがあります。昨年5月、 このブログの第1回に→日本語の反原発ロゴとFUKUSHIMAと題して、今では世界中に広がった1975年デンマーク生まれの「原子力?おことわり」のロゴの発祥の歴史を簡単に説明しました。日本語のそれもずいぶん昔からあったことも書いたとおりです。
ところが、フクシマ1周年を前に、上記の写真のように日本語のロゴだけがそれまでの黄色の地から特別に白地になったのです。「どうしてだろう?」と思っていると、これの元祖はわたしであったのです!→ なでしこ新たな反原発応援で世界選手権制覇
 どうです最初の写真が動かぬ証拠でしょう!上記3番目の写真は3月10日のフライブルクでのデモを伝える地元紙から借用したものです。デジタル時代の瓢箪から駒とはこのことか。
また4番目にあるようにグローナウでのデモの先頭には、何とついに日の丸が登場しました。白地に赤く染めた日の丸が反原発運動の旗印になろうとは!驚くべきことです。

さて、本題ですがこの日、ドイツ全国6カ所で行われた追悼デモには、約50000人が参加し、各地の原子力施設を人間の鎖で取り囲みました。フランスでは60000人と報道されており、ついにドイツを上回ったのも喜ばしいことです。もっとも、そこにはライン川を超えて参加したドイツ人もかなり加わっていたとのことです。世界の人々がひたすら根気よく行進し、手をつないで核施設を包囲しました。
反原発市民運動も次第に国境を越え始めました。日本では全く報道されていませんが、ポーランドでも小規模ながら原発建設予定に反対するデモがありました。 Szcezcinという北ドイツ国境に近い町に10日の土曜日150人ほどが集まりました。ポーランド語のロゴを見るのはわたしも初めてです。

さてドイツですが、3カ所だけ挙げます。

1)北ドイツのブロックドルフ原発包囲デモ

原発に向かうデモ隊 cc-by-sa: ©2012 Thomas Igler und fluegel.tv

原発近くの丘に福島の文字と千羽鶴 cc-by-sa: ©2012 Thomas Igler und fluegel.tv

原発を背景になびく弔旗 cc-by-sa: ©2012 Thomas Igler und fluegel.tv

2)ブラウンシュヴァイグ

近くのアッセ/Asse中低レベル核廃棄物最終処理場(ここは地下岩塩層に出水があり地下水が廃棄物で汚染しつつある)に抗議する松明の人間の鎖

                         cc-by-sa: Maxi Musterfrau

火文字のAはAsseとAtomへの抗議                       cc-by-sa: Maxi Musterfrau


3)オランダ国境に近いグローナウのウラン濃縮施設(核燃料工場)へのデモ隊

ウラン濃縮を止め原発の基盤(核燃料)を崩そう Foto: Tim Mäkelburg

反原発ダックスフント  Foto: Tim Mäkelburg

切りがないのでこれくらいにしますが、市民運動による各地の写真は;


 グローナウのこの日の写真は多く報告されています。ここでは福島出身の
日本人女性が感動的な挨拶をされたとのことです;


また世界とドイツの報道写真はシュピーゲル誌電子版でご覧ください;



2012年3月11日日曜日

76;東日本大震災一周年追悼メッセージ・市民と科学者の内部被曝研究会


第二次世界大戦以降、最大の犠牲者をもたらした東日本大震災一周年に際し、→市民と科学者の内部被曝問題研究会からだされた追悼のメッセージを以下に転載いたします。    


  東日本大震災一周年追悼メッセージ 
 
2012311市民と科学者内部被曝問題研究会 代表 澤田昭二
 
  東日本大震災の一周年を迎え、あの巨大地震・津波によっていのちを奪われた1万数千人の御霊とご遺族の皆さまに、心より哀悼の意を表します。

  また、東電福島第一原発事故に際し、政府と東電の無為無策によって、原発事故現場でいのちを奪われた作業員の方々、心血を注いできた農業や酪農の行く手を 放射能汚染によって阻まれていのちを絶った方々、産まれてこられなかった子どもたちとご遺族の皆さまに、改めて衷心より哀悼の意を表します。

  さらに、原発事故による土地や海や食べ物などの放射能汚染に苦しんでおられる地元福島県をはじめ東北・関東の各都県の方々と全国の皆さまにお見舞い申し上げます。

  福島原発事故により浮遊し堆積した放射性物質が放出する放射線による外部被曝の影響以上に、飲食と呼吸によって継続的に取り込む放射能による内部被曝の影響は、これからも継続し表面化する深刻な問題です。

  事故当初より減ったとはいえ、原発事故現場から放射性物質は今なお放出され続けており、福島・茨城両県の環境放射能水準は過去の平常時よりも高い水準を維 持し続けています。関東と東北を含む広範な地域にも、堆積放射能によるホットスポット的な高濃度汚染地があり、看過できない状況です。さらに、放射性降下 物は水の流れとともに徐々に下流に移動するため、下流域の河川や湖沼・港湾ならびに海の放射能汚染は、これから深刻になることが予想され、農林水産物の安 全性が危惧されます。

  福島原発が依然として不安定な状態にあるにもかかわらず、政府が「収束宣言」を発表して幕引きを図ったことや、高線量下に置かれた住民に対する保護責任を果たそうとしないことは大問題です。

  旧ソ連邦のチェルノブイリ原発事故で被曝したロシア、ウクライナ、ベラルーシでは、住民の健康保護のために年間被曝線量5ミリシーベルト以上の地域は「移 住義務区域」、1ミリシーベルト以上の地域は「移住権利区域」として、住民の被曝を防護しています。それに対して、日本では「避難指示解除準備区域」は 年間被曝線量20ミリシーベルト以下、「居住制限区域」は年間2050ミリシーベルト、「帰還困難区域」は 現時点で年間50ミリシーベルト以上」と極めて高い線量を設定しています。このことは、国際的にみても大問題です。日本の市民がチェルノブイリ原発の周辺 の市民よりも放射線に対する抵抗力が何十倍も高いはずがありません。私たちは、政府に対しては、市民の健康を守る施策を緊急に実施することを強く求めま す。

  肥田舜太郎名誉会長の発足挨拶「内部被曝の被害と闘うために」(下記)にあるように、当会は、市民と科学者が一体となって、内部被曝を含む被曝問題に積極的に取り組み、子どもたちをはじめとする全国の市民を守るために努力してまいります。     
【市民と科学者の内部被曝問題研究会(略称:内部被曝研) 事務局】
http://www.acsir.org/

内部被曝の被害と闘うために 

「市民と科学者の内部被曝問題研究会」名誉会長 肥田舜太郎 

 2011311日の福島第一原子力発電所の事故後、5月初め頃から子どもの症状などを訴える母親からの電話相談が増え、広島、長崎原爆の特に 入市被曝者に多く見られて放射能による初期症状によく似た状況から、私は原発から放出された放射性物質による内部被曝の症状だろうと直感し、その後の経過 に注目してきている。

 子どもを持つ母親の放射線被害に対する心配と不安は想像以上に大きく、全国的に広がっている。これに対する政府、東電、関係学者、専門家の姿勢や 発表の内容は、ほとんどが国民の命の危険と生活に対する不安の声に応えるものでなく、原子力発電の持続と増強を求める業界の声に応えるものと受け取らざる をいない実情である。筆者の経験によれば、学習し合い明らかにしなければならない課題は、

 放射線そのものについて

 外部被曝、内部被曝の意味

 自然放射線に対する人間の持つ免疫能力

 人工放射線(核兵器の爆発、原子力発電所で作られる)と人間との関係

 放射線被曝による被害の治療法はなく、薬も注射も効果はないこと
 放射線被害に対しては被曝した個人が自分の生命力の力と生活の仕方で病気の発病を予防し、放射線と闘って生きる以外にないこと

 放射線の出ている原発からできるだけ遠くへ移住し、また放射線で汚染された食物や水を飲んだり食べたりしないことといわれるが、それができる人にはよいことだが、できない人はどうするかが極めて大事なことで、この問題にどう応えるのかが、この問題の最重要課題である。

 内部被曝研究会は今でもいろいろな職種の人が集まっていて、医師や弁護士や学者がいれば、肩書きも特殊な技術もない一般職の方々もおられると聞い ている。それらの方々が心と力を合わせて放射線の内部被曝の被害と闘っていく方法や道筋を、話し合い、相談し合って、少しでも有効な方向を見つけ、発信 し、学習し、実践して、今まで人類が経験したことのない課題に立ち向かう出発点に立っている。何もかもが未知の新しい道を歩くのだから、みんな遠慮なく発 言し、みんなで考え、一致したことを確実に行っていくことになる。

市民と科学者の内部被曝問題研究会編→『内部被曝からいのちを守る』(旬報社、2012)より要約抜粋