2012年4月30日月曜日

91;市民と科学者の内部被曝研究会総会報告・桜の樹々が爆発して

みなさま、
先にお伝えした市民と科学者の内部被曝研究会の4月21の →「低線量被曝に向き合う—チェルノブイリからの教訓—」講演会、ならびに翌22日の→同会の結成第一回総会の報告が、発表されましたのでお知らせします。

いずれも大盛況で、ある会員の医師の方からのわたし宛の報告によると「医者が多くてびっくりした」とのことです。どうやら、全国の心ある医師のみなさんがいたたまれずに参集しはじめたようです。また総会では専門部会での活発な討議も行われたとのことです。
詳しくは同会のホームページの→ 市民と科学者の内部被曝研究会の活動報告一覧からご覧ください。

 ふくしま集団疎開裁判弁護団柳原敏夫さんをはじめ 、井戸川克隆・双葉町長からのメッセージなどで、現場の最前線からの叫び声も掲載されていますのでぜひお読みください。一部を引用します;




私たちは今、それな しには命を落とすかもしれないくらいの危機の中に置かれているのです。今日ほど、市民が真に信頼できる科学者と連携することが切実に感じられる時はありま せん。それは人類と地球環境が生き延びるための最重要の危急の課題です。(柳原敏夫さん)

私は放射能を浴びせたことは犯罪だと考えています、濃度が濃いとか低いとか、発症したとか、しないとかの議論の先に自然界の放射能は許容できます が今回の放射能は絶対に受容できません、安全だと言う人は加害者と言えます。被曝して大丈夫なことはないと思っています、早く、安全だという加害者に立証 させ、ウソつきを放逐しましょう。
 子供は昔から宝です、今は昔以上に日本の大事な宝です、健康な環境で大事に育てること必要です、なのに福島県内の子供たちは常時被曝しています。(井戸川町長)


また、ドイツの放射線防護協会からのメッセージ があります。以下全文の引用です;

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Message to the ACSIR Assembly on April 22, 2012, 

by the German Society for Radiation Protection

Dear Professor Sawada,
The German Society for Radiation Protection was founded by scientists after the Chernobyl nuclear accident in order to care for true information about the radiation impact on health. Since then we interchange our knowledge with other concerned scientists all over the world. We congratulate you for the decision to establish ACSIR and wish you success for your future work. We see forward to fruitful cooperation,

Dr. Sebastian Pflugbeil, President, Berlin
Prof. Dr. Inge Schmitz-Feuerhake, Hannover


ACSIR第一回総会2012422へドイツ放射線防護協会からメッセージ

澤田先生
 ドイツ放射線防護協会はチェルノブイリ原子力発電所事故後に、放射能の健康への影響に関する真実の情報を入手し、守るために設立されました。それ以降、私たちは放射能を心配する世界中の科学者と知識の共有・交換に努めています。
 みなさまがACSIRを設立するご決断したことをお祝いするとともに、みなさまの今後のお仕事のご成功をお祈りいたします。みなさまと実りある協力関係が持てることを期待しております。
セバスチャン・プフルークバイル(博士)・会長、ベルリン
インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ(博士・教授)、ハノーバー


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 梶村の補足ですが、わたしのブログでこれまでふれていない、インゲ・フォイエルハーケ教授は、ドイツの世界的な放射線研究者で、すでに1983年にヒロシマの被爆者の内部被曝が隠蔽されていることを学問的に指摘した方で、のちにECRR・欧州放射線リスク委員会を立ち上げて、IAEAやICRPなどの原発推進マフィアたちのエセ科学を容赦なく批判している学者です。「世界の原発ロビーの天敵」のおひとりです。
これから、日独の科学者がしっかり協力してフクシマの市民の皆さんと連帯を本格的に始めることになりそうです。

わたしのブログからの情報で遠方から参加された方もあるとの連絡もありました。その読者のみなさまに感謝いたします。

 ここでまたまた、ふと思い出したのが、今度はドイツの文学者のこの言葉です;



„Die Kirschbäume sind explodiert“
„Das Grün explodiert“
                                      Christa Wolf "Störfall"

「桜の樹々が爆発した」
「みどりが爆発している」
   クリスタ・ヴォルフ 邦訳「夏の日の出来事」

この言葉は、昨年末亡くなったクリスタ・ヴォルフがチェルノブイリの事故を東独の農村で聴いたことを、ちょうどサクランボの花が満開でみどりがまばゆい頃であったので、事故と汚染のメタファーとして表現し、1987年に発表した小説の冒頭の言葉です。
わたしは、実は彼女がこの小説を書いている頃に、密かに東ベルリンの仕事場に彼女を訪ねて日本での文学者会議への参加を要請したことがあります。
昨年末に亡くなった際に、追悼会にも参加しましたので、これらのことも含めて回想を書きたいと思っているのですがまだ果たせていません。フクシマ事故の後には「文学の無力さ」を嘆く発言もありました。

いずれにせよ、チェルノブイリの事故が、のちにゴルバチョフも語ったようにソ連邦の崩壊を決定的に促しました。そのことを示唆する優れた作品でもあります。
「 桜の樹々が爆発した」日本では何が崩壊し、何が現れるのか?いずれにせよ日本も歴史的転換を迫られていることだけは確実です。

クリスタ・ヴォルフ追悼会2011年12月14日、ベルリン










2012年4月27日金曜日

90;無人の桜考:「むかし東方に国ありき・・」補記・チェルノブイリ26年の覚え書き

この写真は、つい最近の4月10日、わたしの住むベルリンの街中にある公園のソメイヨシノが満開になったときのものです。
例年になく寒い春でしたが、緯度でサハリンの中部にあたるここ北国でも、保護された環境の中では日本の桜はこのように樹は小さくとも、実にコケットに爛漫の姿で人を魅せるのです。
  

日本人は古くから満開の桜を愛でてこのように詠ってきました。

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 
西行(山家集)

  本日4月26日はチェルノブイリ事故から26年になります。この事故も当初から、情報が極端に少なく次第に明らかになる恐るべき実態に、わたしもまだ幼かった子どもたちを抱えて、震撼し狼狽しました。1500キロメートルほど離れたベルリンも、南部のバイエルン州ほどでないにしてもかなり放射線で汚染しました。現在でもドイツの森の汚染は続いており、イノシシやシカのセシウム値はしばしば基準値を超えています。

以下のコラムはフクシマ事故から一年を経た先月執筆し、「図書新聞」今週号に掲載されているもので、→同紙のブログでも読めるものです。
そこでチェルノブイリ事故の日の今日、桜をテーマにしていくつか写真を加えて再録し、続いて補記しましょう。
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 「むかし東方に国ありき……」

――フクシマは罪のない子どもたちを犠牲にしてヒロシマ・ナガサキの原点に日本社会を引き戻している
梶村太一郎「図書新聞」No.3060 ・ 2012年04月28日号掲載

一九四五年八月の敗戦からしばらくして、当時上海にいた武田泰淳は、広島・長崎への原爆投下による放射能拡散で日本人が死に絶えつつあるとの報道に衝撃 を受けた。そこで海外で生き延びた日本人としてできることは、日本という国があったことを語り伝えることだと決意し、「むかし東方に国ありき……」で始ま る長編詩を書き、堀田善衞たちに読み聞かせたという。
これについて堀田は「非常にパセティックな良い詩だったが、詩稿は失われ、その最初の一行しか覚えていないのは実に残念だ」と書いている。
昨年の三月十一日の原発震災の後、わたしは遠くベルリンから、この逸話を何度も思い出したものだ。

地震発生はこちらでは朝の七時前であったが、地震と津波の凄まじい映像を横目に親族友人の安否を確認するうち、福島原発の電源喪失の情報が伝 わってきた。東京の原子力資料情報室が、ホームページで首相官邸の一次情報をもとに、一号炉の格納容器のベントを検討しているとの通報を掲載したのは日本 時間の一二日未明のことだった。過酷事故は不可避のようである。そこで多数の知人たちに「子どもの被曝は悲惨だから幼児と母親は関西方面へ避難する準備を 勧める」とのメールを送った。これが一二日午前三時。それから一二時間後に起こった最初の水素爆発の映像を見ながら、不意に思い出したのがこの失われた詩 の一行であった。

実は、その一一ヶ月前の二〇一〇年四月の初めのこと、久しぶりに訪日したわたしは京都の嵐山で花見をしている。京阪神で育ったわたしは、ナトリ ウム漏れ事故で一五年も停止していた「高速増殖炉もんじゅ」がその頃から再稼働する予定になっていたので、嵐山の桜を見納めたいと思ったからだ。
京都嵐山の桜 2010年4月10日
  福井県敦賀にある、プルトニウム燃料をナトリウムで制御するこの原子炉は、通常のウラン燃料の軽水炉とは危険度が根本的に異なる。いったん過酷事故がおこれば制御は不可能で、少なくとも本州の大半が間違いなく壊滅し、人類史上未曾有の惨禍となる。
この原子炉のモデルとなったドイツのカルカー高速増殖原型炉(SRN―300)は、ナトリウム循環試験の段階で事故が重なり、あまりにも高い危険性のため、政治判断で核燃料装荷以前の一九九一年に放棄された。

この過程を知っているわたしは、当時から「もんじゅでもナトリウム火災は絶対に起こる」と警告してきた。ジャーナリストとして「絶対」との表現 は禁句だがあえて強調した。警告は九五年末の事故で的中した。幸い二次冷却系の温度計破損による少量のナトリウム漏れであったため、放射能漏れには至らな かった。本来ならばこれで廃炉にされるべきであったが、懲りもせず膨大な国家予算を投入して再稼働させるという。世界中の核大国がすべて放棄している現実 も無視している。

「日本は狂っている。滅びてもしかたがない」と確信した。この意を酌んだ友人たち、原発差し止め訴訟で闘いを続けている大勢の弁護士たちが、ありがたいことに嵐山の花見に誘ってくれたのである。

同。ちょうど満開で、それは見事なものでした。
この一日、嵐山の桜を堪能したあとでは、事故により無人となった嵐山に爛漫と咲く桜がわたしにとって明日の光景となった。
 それから一年後、この光景は福島県双葉町の桜並木で現実となった。今年もフクシマの桜はセシウムをたっぷり吸って、怒り狂い咲くであろう。


見事に咲き誇るサクラ=福島県富岡町で2012年4月19日武市公孝撮影。
翌日の→毎日新聞より借用しました。





さて、メールにあるように、電源喪失時点から、わたしにとっては関東一帯が高濃度汚染する「最悪のシナリオ」は、自明のことであった。これをまぬが れたのは、当時の風向きと、菅直人首相が東電の現場からの逃亡を防いだからにすぎない。不幸中の幸いであったのはこの二つのファクトだけであり、他の危機 管理は最悪であった。

ドイツ語に「参謀本部方式」という言葉がある。語源はプロイセンの軍事用語だが、意味は「作戦にあたっては最悪の事態を想定し綿密な準備を整え ておくこと」である。事故発生と同時にドイツ外務省が、自国留学生と在留ドイツ人家族に帰国あるいは関西方面への避難を勧告し、大使館を大阪に移し、関西 空港に大使館窓口を開設、ルフトハンザの特別便を飛ばしたことなどがその現れであった。
わたしといえば、友人と親族の子どもと母親を受け入れる準備を始めた。ドイツ人の友人から家一軒を提供するし、夜中でも飛行場に迎えに行くとの 申し出もあった。このようなドイツ市民の気持ちが身にしみると同時に、祖国を失った亡命者の悲哀とはこのようなものかと初めて実感したものだ。

一年後の今でも、危機管理の準備は遅々としており、全国の原発で明日にでも最悪の事態は起こりえるし、フクシマでの被曝は徐々に増え続けてお り、子どもたちに多様な疾病が広がるのはもはや避けられない。これが「過ちは繰り返しません」と誓ったはずの日本の現実である。フクシマは罪のない子ども たちを犠牲にしてヒロシマ・ナガサキの原点に日本社会を引き戻している。
 それを野田佳彦首相は、事故の責任について「誰の責任というよりも、責任は共有しなければいけない」などと語っている。政治家を筆頭に、原子力村のこのような一億総懺悔で責任をごまかす敗戦以来の厚顔無恥が、事故に至った根本原因である。

かつてブレヒトは亡命先のアメリカで日本への原爆投下を知り、『ガリレイの生涯』を書き直し、「真実を知らないのは、単なる馬鹿者だが、知って おりながら、それを嘘だと言う者は罪人だ」と記した。最悪のシナリオを知りながら隠す犯罪者と、彼らの責任を引き受ける馬鹿者たちの国は滅びる。市民が犯 罪者たちを罰して、刑務所に放り込むまでは、「むかし東方に国ありき」となる懸念は決して去りはしない。
メルケル首相がフクシマの映像を見て、脱原発へ豹変した本当の理由は、だまされない主権者の怒りと罰を恐れたからである。政権維持の見事なアクロバットであった。
(在ベルリンジャーナリスト)

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以上が最近の「図書新聞」への寄稿文ですが、長期的なエネルギー戦略も提示できず、高度汚染地域に子どもたちを放置し、ガレキ処理で放射能汚染を全国に振り撒き、原発再稼働を強行しようとする日本政府への怒りはいよいよ募るばかりです。
 フクシマの事故は収束どころか、悪化し続けている事実認識を欠落させて、世界中から呆れられている政治家たちに対しては絶望しかありません。せめて野田首相にメルケル首相の鼻くそでも煎じて飲ましたいですが、彼らにはもはやつけるクスリもないでしょう。退場してもらうだけです。

希望はかならずあります
このように、政治が絶望的な時期に希望が持てるのは唯一市民の動きだけです。この写真は昨年のヒロシマ忌に際しての報告で少しふれました、ちょうど一年前のベルリンで開催された核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の→チェルノブイリ25周年の国際会議でのものです。
Valentina Smolnikova, Georg Tietzen,9.April 2011 Berlin
この大きな会議で市民運動の報告のセクションに参加されたお二人です。
左は、ヴァレンチーナ・スモルニコヴァさんで、ベラルーシの小児科の医師です。右はゲオルグ・ティートツェンさんでドイツのドレスデンの「チェルノブイリの子どもたち」の代表です。
このお二人は、ベルリンの壁が崩壊した直後から、チェルノブイリの子どもたちの治療と保養を続けておられるので、日本でもご存知の方はいるでしょう。
 朝日新聞が、わたしの情報で日本で初めてドイツでの子どもたちの保養について報道したのは、確か1990年の春のことです。そのころから、スモルニコヴァ医師たちの努力で、西ヨーロッパと日本に治療と保養に出かけた子どもたちは4600人にもなるそうです。会議では、このプロジェクトが子どもたちにどんなに肉体的、精神的にも有効であるかを詳しく報告されました。
わたしも、日本の市民運動の皆さんのお供で、二度ほどベラルーシに日本で保養した子どもたちを訪ねたことがありますので、効果は知っています。その素晴らしさは体験した者しか得られない豊かなものです。

会議後お話を聴きますと、スモルニコヴァ医師は札幌の→「チェルノブイリへのかけはし」の招待で日本を訪ねた経験を語られました。
そこでフクシマ事故への体験を聴きますと、「日本に行ったことのある子どもたちと、数日間テレビなどの報道にくぎづけになり 本当に心配しました」とのことです。
「日本の友人への伝言は?」との問いには、しばらく考えてから「どんなに苦しくても絶望してはいけません。希望はかならずあります」との返事がありました。
一年後の伝言ですから、日本の友人たちにはとっくにこの彼女の言葉は直接届いているでしょう。そこでここではチェルノブイリの子どもたちの救援にかかわった多くのすべての日本人への言葉としてお伝えします。
わたしも、怒りと絶望感に襲われたときには、想像を絶するような惨禍(注)のなかで希望を求め続けていらっしゃる体験に裏付けられたスモルニコヴァ医師のこの言葉を思い出しています。

 NGO「かけはし」が1991年から19年間に受け入れた子どもたちは648名にもなるそうです。フクシマ事故後はフクシマからの保養の受け入れにとりかかっているとのことです。素晴らしい希望がそこから育ってくるでしょう。

(27日補注;チェルノブイリ26年にさいして、写真家集団MAGNUMのベラルーシの子どもたちの悲惨な記録写真30枚ほどを→The Nation誌が昨日公開しています。
解説でローラ・フランダース記者は;
Twenty-six years after the meltdown at Chernobyl, the legacy of the 1986 explosion lives 
チェルノブイリのメルトダウンから26年後、1986年の爆発の遺産は生きている
と記しています。
これがスモルニコヴァ医師たちが現在も直面している事実なのです。ソースは本日の→大沼安史さんブログです。大沼さんに感謝して補記します。)

 無人の桜の樹の下には・・・
 ところで、わたしの懸念した予言が事実となり、ここ数日、フクシマからの→無人の桜の光景の画像や映像を見ながら、冒頭に挙げた西行のような和歌も、日本ではとうとう過去の夢になってしまったなどと考えながら、ふと思い浮かんだのがやはり桜に関する有名な作品の冒頭の言葉です:

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。

梶井基次郎「桜の樹の下には」

というのは、4月23日に下記のアメリカの邦字紙→US Front Line Dailyが伝えた共同通信の記事と、4月24日の→琉球新報の社説を読んだからです。これは、前回お伝えしたように先日正式に発足した「市民と科学者の内部被曝研究会」の高橋博子さんの研究に関するものです。
そして、フクシマ後の今は、梶井の言葉をこのように言い換えねばならないと考えるのです。

無人の桜の樹の下には被爆者の赤ちゃんの魂が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。


もうひとつだけ、関連でここで付け加えねばならない史実があります。今年の4月26日はスペインではゲルニカ空襲75周年記念の日であり、犠牲者を悼む行事が行われ、それがドイツでも報道されています。1937年のこの日、ドイツ空軍は国際法を無視し、歴史上初めての戦略爆撃を行いました。
同年の7月7日は盧溝橋から日中戦争が本格化し、翌年末から日本軍は重慶爆撃を始め、それがヒロシマ・ナガサキへの核兵器による戦略爆撃に終わったことはよく知られています。
あまり知られていないことは、ゲルニカ空襲の60周年の1997年、スペインを訪問したドイツのヘルツォーグ大統領が、初めて国際法違反の戦争犯罪として謝罪し、翌年にはドイツ連邦議会も謝罪決議を行っていることです。
日本が重慶爆撃で国家責任を公式に謝罪したことはありません。

このように考えると、中国人ならば:

日本の無人の桜の樹の下には重慶の市民の屍体も埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。


と思うのではないでしょうか。

以上を読者のみなさまとともに考えるため、また保存のため二つの記事を全文引用しておきますのでお読みください;
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US Front Line Daily

           更新2012年04月23日 18:51米国東部時間
1200人を研究利用、被爆者の赤ちゃん~遺伝影響調査で米
 
広島と長崎への原爆投下の数年後に、被爆者の 親から死産したり、生後すぐ亡くなったりした赤ちゃんのうち、臓器標本やカルテが米国に送られ放射線研究に利用された人数が1200人以上に上ることが 21日、分かった。米国は戦後間もない時期から原爆の放射線による遺伝的影響の調査に着手。占領期に被爆者や新生児の標本が日本から米国に渡ったことは明 らかになっていたが、具体的な規模は軍事情報とされ不明だった。

広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師が米軍病理学研究所(AFIP)の内部文書で確認した。近く発表する。高橋講師は「核兵器や放射線研究のために、新生児がモルモット扱いされたと言える。今の放射線の基準は、その上に成り立っている」と話している。

高橋講師によると、新生児の調査は1948~54年に約7万7000人を対象に実施。AFIPのエルバート・デカーシー所長は51年2月、日本で原爆の影響を調査していた米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)への書簡で、新生児の固定標本を送るよう求めた。

ABCCのグラント・テーラー所長は同年4月、「何百ものホルマリン標本を2カ月の間に送る」とデカー シー所長に返答。同年にABCCは死産だった新生児の臓器標本など身体の一部177点を送付した。52~53年に同様に672点と817人のカルテ、55 年にも433人のカルテと細分化された数千点に上る組織片が送られた。
カルテや標本の数などから、高橋講師は利用された人数が1200人以上とみている。
調査終了後、ABCCは「現段階で放射線による遺伝的な影響はみられない」と結論付けた。
ABCCの元日本人研究員は取材に対し「広島市では新生児調査がほぼ100%行われ、亡くなった場合は全て解剖された」と証言している。
調査では、妊婦を優先した食料配給制度を利用して、広島と長崎で妊婦の所在などの情報が日本側から米側に提供された。医師や助産師のほとんどが協力要請を受け、新生児が亡くなるとABCCに通報した。
臓器標本やカルテの一部は70年前後から日本に返還され、広島大や長崎大で保管されている。(共同)
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琉球新報社説
被爆新生児調査 人道的責任は免れない
                                                                          2012年4月24日  
核をめぐる非人道性を帯びた深い闇がまた一つ浮かび上がった。
世界で初めて原子爆弾を広島、長崎に落とし、罪のない多数の市民を死傷させた米国が、放射線を浴びて死産したり、生後すぐに死んだ新生児の臓器標本などを独り占めし、遺伝的影響を調べていた。
広島、長崎への原爆投下から数年後、臓器標本やカルテが米国の放射線研究機関で利用された新生児の数は1200人以上に上る。米軍病理学研究所の内部文書で明らかになった。
当時、ソ連との冷戦下にあった米国は水爆など、より威力の大きな核兵器開発に血眼になっていた。臆面もなく、犠牲になった新生児を軍事研究に利用する不遜な態度に驚く。人道的責任は免れまい。
被爆地の遺伝的影響を重くみた米国は、新生児調査で被爆した親の爆心地からの距離や症状、奇形として生まれた子の割合などのデータを集めた。今の放射線の被爆線量の国際基準の源流になっている。
事実を発掘した広島市立大の研究者は「核兵器や放射線研究のために、新生児がモルモット扱いされた」と厳しく指摘している。
原爆投下をめぐっては、大きな疑問がまだ残る。黄色人種の日本が敵国だったからこそ、使用に踏み切ったのではないかという根源的な疑念だ。
日本との戦争を早く終結させるためという大義を掲げつつ、開発から日が浅い原爆を投下したのは、原爆の威力を確認する「人体実験」の思惑があったのではないか。
占領の当事者が、敗戦国・日本国民の人権をないがしろにしていたことは、被爆死した新生児への放射線の影響調査からも浮かぶ。
兵器使用をめぐる米国の差別的体質は、ベトナム戦争で1961年から10年間、約2万回も散布された枯れ葉剤使用にも連なる。
南ベトナム解放戦線が潜む森を根絶やしにするため、米軍は、発がん性があり、奇形を招く猛毒のダイオキシンが含まれる枯れ葉剤を用いた。終戦から37年を経た今も、世代を超えて重い障害児が生まれている。
1991年の湾岸戦争とイラク戦争で米軍は、低レベル放射性物質の劣化ウランを材料とする砲弾を使った。残存した放射線により、住民の健康被害が顕在化している。
戦争は弱者に犠牲を強いる。被爆死した新生児調査で浮かんだ負の遺産を、唯我独尊の軍事大国の内実を問い直す糧としたい。

2012年4月22日日曜日

89;内部被曝研究会結成の記念講演・シンポジウムの動画をご覧ください

本日4月22日、東京で市民と科学者の内部被曝研究会の第一回総会と記念講演・シンポジジウムが行われました。
総会の記録は後から同会の→ホームページで報告されるとおもいますが、記念講演とシンポジウムはIWJの岩上安身氏が会場から実況中継されました。
その記録の動画は以下で見られますので、世界中のみなさまに是非とも見ていただきたくおもいます。

これだけでも5時間近い長さですので、前半と後半が二つに分けて以下で見ることができます。一度に見られない方は、何度かに分けてゆっくりご覧になることをお勧めいたします:

http://www.ustream.tv/recorded/22034779
→後半2時間ほど
http://www.ustream.tv/recorded/22037692

正式に名誉会長になられた95歳の肥田舜太郎医師の記念講演に始まる、シンポジウムでの科学者と市民運動の報告とその後の、参加した市民と医師による質疑応答と提案は、限られた時間内とはいえ、フクシマ後の日本の諸問題点を、被曝の最前線から世界に伝える濃厚で貴重な記録となっています。
これで、内部被曝研はフクシマの放射線被曝と闘う市民と科学者の日本の中心となる組織として正式に第一歩を踏みだしました。冒頭、肥田医師は「おそらく世界でも初めてのことではないだろうか」と述べられています。まさに歴史的な記録です。

虚偽と隠蔽で成立している世界の核兵器と原子力発電の体制に真っ向から立ち向かう日本の市民運動の成立を、大変誇りに思い慶祝の至りです!発展を祈らざるをえません。これを皮切りにして、世界中の市民と科学者の連帯が始まるでしょう。

多くの科学者の皆さんのご意見や知見は、ここに報告することは無理ですが、「放射線防御で何をなすべきか」に関する経験の裏付けのある提案の中で、わたしの注意を引いた具体的な提案をいくつか挙げておきます。

☆森永ヒ素ミルクや水俣病の経験からして、 放射線被曝の疫学調査は絶対に必要である。これは大規模で長期的なものになるので国がやるべきである。山田 真(小児科医)

小学校児童の親は、これから生えかわる乳歯をすべて保存しておく。乳歯のカルシウムには特に半減期の長いストロンチウムが蓄積され、将来にありうる被曝障害発症の際に強力な裁判上の証拠ともなる 。これはかつて地上核実験を禁止させる上でアメリカで内部被曝の証拠として強力な武器になった実績がある。(会場の歯科医の方たち)

これは誰にでもできますので、全国の小学生のいる家庭で、乳歯が保存できれば、これは疫学的にも非常に強力な武器として、世界中の脱原発に貢献できるのではないでしょうか。疫学研究には被災地と非被災地との比較が条件であるために、全国の家庭でのデーターが必要です。(これは梶村のコメント)

地方自治体はガレキではなく保養のための子どもを受け入れるべき。政治的意思さえあれば、十分可能である。大沼 淳一(市民放射能測定センター)


実況中継を見ると、今回は壇上からは発言されませんでした、植物遺伝育種学→生井兵治元筑波大学教授が、ご年配にもかかわらず一市民として質疑応答のマイクロホン係として会場を走り回っておられる姿が見られ、大変に感激しました。ありがとうございました。


プログラムは以下の通りです:
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 1)記念講演   14:00~14:30  肥田舜太郎
2)記念シンポ  14:35~18:30  司会・松井英介・西尾正道
シンポジストからの発言          14:35~17:00
沢田昭二(物理学者)         「放射線内部被曝研究の現状と課題」
矢ヶ崎 克馬(物理学者)                 「内部被曝の基礎」
大沼 淳一(市民放射能測定センター)   「食の安全、データの正しい評価」
岩田 渉 (市民放射能測定所)     「フクシマの第一線から」
山田 真(小児科医)         「子どものいのちを守るために」
堀口 信(内科医)        「遠隔地で福島からの避難者に寄りそって」
柳沢 裕子(内科医)              「相談現場から」
板井 八重子(内科医)         「ミナマタからフクシマへ」
石田 伸子(子ども全国ネット)     「フクシマからの声」

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追加です;子ども全国ネットの石田伸子さんは、全国のママたちの活動情報誌→「ママレボ Mom´s Revolution」を紹介されました。文字どおり、「ママたちの革命/ママの愛は世界を変える」です。



岩手日報の記事です。クリックすれば拡大し読めます。おっしゃるとおり、わたしとしてもMoms & Papas Revolution となってほしいものです;

2012年4月18日水曜日

88:上杉隆氏のベルリン講演と「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」後編

後編を続けます。かなり回りくどいジャーナリストらしくない記述になり申し訳ないのですが、以下は世界と日本の原子力の問題の核心のひとつにふれることです。ですから今回は、大学の授業であると考えて我慢してお読みくだされば幸いです。

その前に、ちょうど前回でドイツ公共海外向け放送DW(ドイッチェヴェッレ)が講演会に取材に来ていたと書きましたが、先ほどそれが同放送の報道で確認できました。
Foto.IPPNW ,Tajashi Uesugi
ひとつは→"Nichts ist unter Kontrolle in Fukushima"「フクシマは全くコントロールされていない」 という、ベルリン講演のルポです。
この記事では、この放送局の日本語放送で長年活躍した、知る人ぞ知る永井潤子さんの感想やプッルグバイル博士のフクシマへの深刻な憂慮などが入念につたえられています。
驚くべきことに、さらに栗原雅美さんの通訳による上杉氏インタヴュー→"Die Lüge hat System"「嘘のシステム」までがあります。ここでは上杉氏はTBSなどの自己検閲についても話しています。

おそらく、上杉氏はまだ自覚されていないでしょうが、この報道は大変な影響があります。
実は、わたしも1990年代の後半に数年間、DWの日本語放送で永井潤子さんのお手伝いをしてベルリンから放送した体験があります。同放送の日本語放送はその後、世界政治情勢の変化で廃止され今はありません。
また、それが何故かは背景を詳しくは説明しませんが、この国際放送はNHK国際放送よりももっと事実上の国営放送なのです。すなわち、この放送の内容はドイツ政府の見解をそのままでは ないにしても、大きく反映しているとみなされています。もっとも検閲はありませんが。ですから、上杉氏の講演と、インタヴューがこれほど念を入れて報道されたことに、いまごろ霞ヶ関の外務省と、ベルリンの日本大使館は間違いなくショックを受けているでしょう。民間のメディアとは、影響力はともかく質が異なるからです。

さて、本題です。ベルリンでの講演のなかで上杉氏はプロジェクターを使い、首相官邸のホームページにはチェルノブイリの事故と福島事故を比較して→次ぎのような政府見解がいまだに掲載されていることを示し 、日本政府がいかにフクシマを過小評価しようとしているかを指摘しました。そこにはこうあります:
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       チェルノブイリ事故との比較

平成23年4月15日

チェルノブイリ事故の健康に対する影響は、20年目にWHO, IAEAなど8つの国際機関と被害を受けた3共和国が合同で発表(注1)し、25年目の今年は国連科学委員会がまとめを発表(注2)した。これらの国際機関の発表と東電福島原発事故を比較する。

  1. 原発内で被ばくした方
  2. *チェルノブイリでは、134名の急性放射線障害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。その後現在までに19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。
     *福島では、原発作業者に急性放射線障害はゼロ(注3)
  1. 事故後、清掃作業に従事した方
  2. *チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。
     *福島では、この部分はまだ該当者なし。
  1. 周辺住民
  2. *チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算さ れているが、健康には影響は認められない。例外は小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で6000人が手術を受け、現在までに 15名が亡くなっている。福島の牛乳に関しては、暫定基準300(乳児は100)ベクレル/キログラムを守って、100ベクレル/キログラムを超 える牛乳は流通していないので、問題ない。
     *福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。

一般論としてIAEAは、「レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る」としているが、各論を具体的に検証してみると、上記の通りで福島とチェルノブイリの差異は明らかである。 
 
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Frau Dr.Adelheid Lüchtrath
この見解を信じ込むと、誰でもフクシマ事故はチェルノブイリより比較にならないような、ほとんど危険性のない「安全」なものと考えるでしょう。
 
さて、質疑応答でひとりの女性が立ち上がり、次のように述べました。
「わたしは、日本語が読めないのですが、示された資料でWHO, IAEAという文字だけは理解できます。日本政府だけでなく世界の大半の政府が放射線被害を矮小化する公式見解をとっているのは、そもそも1959年にこの二つの国連機関が情報を隠蔽する協定を結んだからなのです。ほとんどのジャーナリストもまだこの事実を知りませんので、指摘しておきます
この方は写真のように、またアーデルハイトという名前からしても、まるでアルプスの少女ハイジが年配になったような健康そのものの人物です(ハイジの本名はアーデルハイトであるとの説があります)。実際はアーデルハイト・リュヒトラートさんはベルリンの反原発運動では古株の女医さんで、中国式の鍼や漢方治療の資格も持つ現役の開業医師です。わたしは幸いなことに今のところはまだお世話にはなっていませんが。もちろんこの講演会を主催した団体のひとつ反核医師の会の活動家でもあります。
 
 日本の反核医師の会について

少し回り道になりますが、本題に入る前に日本の反核医師の会について述べておきます。 前にここでで報告しました今年の初めにあったべルリンでの松井英介医師の講演会で、わたしはこのように書いています:  

質疑応答では、ノーベル平和賞受賞団体の反核医師の会(IPPNW)の医師から「我が組織の日本セクションはフクシマ事故に関してはあまり活発ではないが、なぜか?」との、日本人の医師にとっては実に耳の痛い質問もありました。


  • この質問をしたのがリュヒトラート医師です。 そこには、松井医師の回答が書いてないので補足しておきます。
  • 松井氏は「そのとおりですが、日本の反核医師の会は二つあります。ひとつは保守的な日本医師会の医師が多いそれと、もうひとつは革新的な保険医の多いそれです」と答えています。これを聴いて、そのあと彼女はプルッグバイル博士たちと「ドイツの医師会も保守的だからね」などと話していましたが、それでもわかりにくい様子でした。
  •  
  • それは当然なのです。長年の核兵器廃絶活動でノーベル平和賞を受賞した正式名称→「核戦争防止国際医師会議IPPNW」の本部は→これです。そして→日本支部は広島の医師会内にあります。
  • ところが、略称である→「反核医師の会」は日本では別の組織で東京の保険医師団体内にあります。英文名称は"Physicians Against Nuclear War"(英文略称"PANW")であり、定款でも「IPPNWの活動に協力する」とあります。脱原発関して活発であるのはこちらの方です。
  • このようにわかりにくいことになっている大きな背景には、例えば被爆者団体ですら冷戦構造と中ソ論争をを背景に二つに分裂し、冷戦後のいまでもそのままであるために、脱原発運動にまで影響を及ぼし、結果としては反戦平和運動の足を引っ張り続けている日本に特有の頭の痛い問題があります。わたしのように部外者から見ればこれは「医者の慢性病」であるように見えます。
  • 今年の夏には久しぶりにIPPNWの世界大会が日本の広島で開催されますが、脱原発がどのように扱われるか注目されます。この問題は原発廃止を願う世界中の医師たちの悩みの種でもあるのですから。
  •  
  • 「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」
  • さて、本題であるリュヒトラート医師の今回の指摘に戻ります。  彼女が読めないにもかかわらず首相官邸の見解を見て鋭く指摘した問題です。
    以前わたしは、6年前の2006年に書いた「週刊金曜日」の記事を再録し→「IAEAは犯罪組織である」とのドイツ反原発運動からの指摘があることを、プッルグバイル博士とのやりとりで紹介しました。そこには以下のような記述があります。

  • 「現在のイランの核問題でもわかるように、IAEAが核兵器不拡散に果たしている役割 は確かに大切。だが、この組織はその規約の第一条に明記されているように『世界中で核エネルギーの平和利用を促進する』目的をもち、第三条では『得た情報 に対する一定の制限も必用である』とあります」
    「つまり、原発推進の目的のためなら情報を隠しても良いとの規定もあるのでこの報告書も規約違反ではないというわけですね」
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  • このやりとりの正確を期すために以下訂正し補足しておきます。ここで指摘されている「規約」とは、正しくは1959年5月28日に締結された「国際原子力機関-IAEAと世界保険機関-WHOとの協定」のことです。
  • そこで、この協定の日本語訳を日本政府の関連官庁のサイトで探してみましたが見つかりません。国連機関の重要協定の翻訳がないわけはないのですが、政府の都合に悪いのでネットで公開せず隠しているのでしょう。実はこの協定は締結から40年以上も隠された秘密協定だったのです。その存在が明らかになったあとも、いまだに隠蔽するのは笑うべきことです。
  • ところがなんと、ネット上で唯一見られる→同条約の翻訳は市民放射能測定室のサイトの資料室にありました。さっそくPDFで拝見しますと非常に優れた翻訳です。そこで直ぐ連想したことは、ドイツのNGO「エコロジー研究所」の創立当時のことです。ここから多くの人材がでて、今では環境庁などの多くの分野で活躍しています。脱原発を実現したひとびとのひとり→ミヒャエル・ザイラー氏などです。おそらく市民放射能測定室からも脱原発した日本を担う人材がでるでしょう。細野環境大臣のように原発ロビーに洗脳されないような知性のある人材が。
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  • 昨年から市民の手によって全国に立ち上がりつつある放射能測定室については、最近、守田敏也氏による『世界』4月号に「放射線防護で市民と科学者が立ち上がった」との優れたルポがあります。この寄稿の要旨はさっそくドイツ語に翻訳され、上杉氏講演会場でも配布されたドイツ放射線防護協会の機関紙「Strahlentelex/放射線テレックス」4月5日号に掲載されています。
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  • さて、そこで協定の最も問題があると指摘されている第3条の翻訳と英文原文は以下の通りです。全文は上記の市民放射能測定室の資料庫からご覧下さい;
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  • 国際原子力機関(IAEA)と世界保健機関 (WHO)の間の協定 
  • 第 III 条 情報と文書の交換
    1. 国際原子力機関と世界保健機関は、提供を受けた機密情報の保護のために、何らかの制限を適用する必要があると判断する場合があり得ることを認める。このため両機関は、本協定内のいかなる規定も、その情報を保有する側が、そのような情報を提供した加盟国等の信頼を損ねたり、自らの機関の業務の正常な遂行を阻害する可能性があると判断するような情報の提供を求めていると解釈されてはならないことに合意する。

        2.    機密資料の保護のためにこのような取り決めが必要になる場合があり得るとの前提の 下で、国際原子力機関事務局と世界保健機関事務局は、双方が関心をもつ可能性のある活動計画や事業計画について充分な情報を相互に提供するものとする。

        3.    世界保健機関事務局長と国際原子力機関事務局長、またはその代表者は、いずれかの側から要請があった場合には、相手が関心を持つ可能性のあるそのような特殊情報をいずれかの側が提供することについての協議の場を設けるものとする。
     


    AGREEMENT BETWEEN THE INTERNATIONAL ATOMIC ENERGY AGENCY
AND THE WORLD HEALTH ORGANIZATION

    Article III – Exchange of Information and Documents

    1. The International Atomic Energy Agency and the World Health Organization recognize that they may find it necessary to apply certain lim- itations for the safeguarding of confidential information furnished to them. They therefore agree that nothing in this agreement shall be construed as requiring either of them to furnish such information as would, in the judge- ment of the party possessing the information, constitute a violation of the confidence of any of its Members or anyone from whom it has received such information or otherwise interfere with the orderly conduct of its operations.

    2. Subject to such arrangements as may be necessary for the safeguard- ing of confidential material, the Secretariat of the International Atomic Energy Agency and the Secretariat of the World Health Organization shall keep each other fully informed concerning all projected activities and all programmes of work which may be of interest to both parties.

    3. The Director-General of the World Health Organization and the Director-General of the International Atomic Energy Agency or their repre- sentatives shall, at the request of either party, arrange for consultations
     
    この長く隠されていたまるで外交秘密文書のような協定を読むと、明らかなになることがあります。第二次世界大戦後の早い時期に、国連に「世界中の人々の健康を保護」するために設立され、非常に有意義な成果を上げてきたWHOの活動を、後からできたIAEAがこの協定で制限をすることです。
    文面そのものからは両機構の対等である形式となっていますが、実際には「原子力の平和利用を促進する」ことが目的のIAEAにとって都合の悪い秘密情報をWHOが公表しないようにするための協定です。なぜなら「原発促進」は「健康の保護」と矛盾するからです。そしてこの矛盾の隠蔽を目的としたのがこの協定です。
     
     ところが、チェルノブイリ事故の健康に与える影響に関して、冷戦終結後の1990年代についにこの矛盾と秘密が露呈することになりました。2006年の事故20周年に関するIAEAが招集したウイーン会議の報告があまりにも酷いものであったため、上述の「週刊金曜日」でもプッルグバイル氏が語っているように、IPPNWをはじめ、多くのNGO自然環境保護団体が非難と抗議の声をあげたことはよく知られています。
    このとき、ドイツの反核医師の会はIAEAのやり方を→次のように文書で批判しました。
     
    「 WHOはさるぐつわ協定につながれている。WHO内における科学性は、 IAEAによって決定された限界内での非常に狭い枠内にしか存在しない。

    Die WHO ist durch einen Knebelvertrag gebunden. Wissenschaftlichkeit existiert in der WHO nur in sehr engen, jeweils von der Internationalen Atomenergiebehörde festgelegten Grenzen. 」
     
    2009年の協定50周年に向けて、ドイツの反核医師の会は独立した医学研究を実現するために→「同協定は破棄されるべきであるとの声明」を出しIAEAなどに抗議行動を行っています。
     
    そして、昨年2011年5月、フクシマ事故で脱原発に方針転換したドイツでは、連邦議会で緑の党会派が連邦政府に対し「独立した効果あるWHOのため政府は同協定を破棄する行動をとるべきである」との→議会提議書を提出しています。
    以上いずれもが、上杉隆氏が講演で示した首相官邸が錦の御旗のようにかかげるIAEAのチェルノブイリ事故の影響の評価を、全くの過小評価で科学的に正しくないと厳しく指摘しています。
    このように世界ではほとんど信用を失っているIAEAの評価と比較して、フクシマの事故の影響は、それよりもさらに低いとするのが日本政府の認識なのです。このような見解を出しているのは官邸がいまだに頼りにしているニッポン原子力村の村長たちですが(名前は冒頭の官邸HPで確かめて下さい)、彼らを信用する日本人は、さるぐつわをはめられたうえに、さらに目隠しをされたのが現状といえるでしょう。 次にはおそらく耳栓をはめにかかるでしょう。
    緑の党の連邦議会提議書にはフクシマ事故後の状態も以下のように指摘され提議の理由のひとつとされています:
     
    「WHOは放射線値を測定するため、それにより日本の人々の身体と生命の危険を測定するために、原子炉の周辺に独自のチームを派遣していない。そのため、独立して実施された測定値も存在しない。人々に提供されている測定値は原子炉事業主の東電とIAEAによるものであり、部分的に偽りがありまた粉飾されている。WHOによる独立した調査は、チェルノブイリでもフクシマでも実行されてはいない。このような持ちこたえられない状態は終結されるべきである。
     
    Zur Messung der Strahlenwerte und damit der Gefährdung von Leib und Leben der Menschen in Japan und rund um den Reaktor hat die WHO kein eigenes Team vor Ort. Dadurch gibt es auch keine unabhängig erhobenen Messwerte. Die ihr zur Verfügung stehenden Messwerte stammen von dem Betreiber des Atomkraftwerks Tepco und der IAEO und waren zum Teil falsch und geschönt. Eine unabhängige Untersuchung durch die WHO fand weder in Tschernobyl noch in Fukushima statt. Dieser unhaltbare Zustand muss beendet werden.」
    世界中で原発を促進するため、 WHOにさるぐつわをはめ、犬のようにひもをつけている協定が破棄され、WHOが自由に独立した科学的情報を集めて本来の目的に沿って、世界の人々の健康の保護のために役立つ情報を公表できるようになれば、そのときは世界中で原発神話が最終的に崩壊するのです。
    原子力発電技術は、たとえ大事故が起こらなくても地球上での生きとし生くるものの摂理に反するからです。人類が自殺するのに自然を道連れにすることなど許されるわけもありません。
    (19日追加です。このWHOさるぐつわ協定に関しては、まだまだ日本のメディアがふれておらず、重要な情報があります。いずれ追加して書き込みたいと考えています)
     

    2012年4月16日月曜日

    87:上杉隆氏ベルリン講演と「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」前編

    先の週末にベルリンで行われた→上杉隆氏の講演は、13日の金曜日にもかかわらず大成功で有意義なものでした。
    質疑応答も盛り上がり、時間を延長して午後7時に始まり、ご覧のとおり立ち見まででた満員の会場からは、10時の終わりまで帰宅する人は皆無でした。通路まで一杯のため写真が撮りにくい状態でした。
    講演する上杉隆氏。2012年4月13日ベリリンで Vortrag von Takashi Uesugi Foto:T.Kajimura

     おそらく、100数十人の参加者があり、目立ったのは若い日本人がかなり参加していたことです。ドイツの公共海外向け放送DW(ドイチェヴェレ)も取材に来ていました。
    この日、上杉氏の講演に関して付け加えて質疑応答に答えたのはこの方々です。
    Dr,S,Pfulgbeilプッルグバイル博士、アイ匕ホルン教授Prof.E.Eichhorn、上杉氏T.Uesugi

     上杉氏の講演の内容の要旨;

    原発事故発生直時から市民に重要な情報が隠蔽されている状態を具体例(3号機の爆発映像、スピーディーのシュミレーション)を挙げて説明し、いまだに被災地を含め、新聞とテレビの情報しか得られない日本人には正しい情報が伝えられていないこと、そのため、インターネットで世界情報を得る外国人や海外在住の日本人の方が遥かに正しい情報を得ている状態がいまだに続いている。
    その理由は日本メディアシステムの欠陥である記者クラブ制度にあること、正しい情報を伝えようとするジャーナリストは上杉氏自身も含めて排除されていること、それを打破するため自由報道協会を立ち上げて闘っている。
    現在は週の半分は福島などの現場に行って取材をしているが、政府だけでなく地方行政と癒着している地方メディアも正しい情報を伝えていない。郡山では行政が、放射能測定器の周りを除染して実際よりはるかに低い測定値を出して地方新聞が伝え、住民を騙すようなことまで行われている。それを信じる家庭の子どもたちが戸外で遊んでいる。
    それどころが福島県内では「放射能」という言葉が教育現場などでも口にできない状態にまでなっていることを、いくつかの例を挙げて説明。今では世界的に有名になっているヤマシタ教授がいまだに居座っている状態である。
    他方で、汚染地からはネットで情報を得ている住民の多くはすでに避難をしており、最大で深刻な問題はまだ住み続けている将来のある子どもたちであるので、海外からも子どもを守る声を挙げていただきたい。

    通訳付きの講演のため、時間は限られていましたが、およそ以上のような趣旨でした。
    いずれも、ドイツ人ならずとも日本国外にいる人間であれば普段考えていることを裏付ける現場からの具体的な内容でした。参加者の大半が「やっぱりそうなんだ」と納得したようです。
    政府の発表する鱸(スズキ)のセシウム測定値が「頭と骨とはらわたを除いた部分だけ」のものであり、その根拠が「鱸が小魚を頭からまるっきり食って汚染していることの知見がない」からであるとの政府記者会見で回答があったとの体験談などには、笑い声があがりました。
    通訳で奮闘された栗原雅美氏(左)

    さて、今回の集まりで特筆すべきことを以下数点付け加えておきます。

    通訳の栗原さんに感謝

    まずは、質疑応答も活発で参加者の提案で時間が延長されたのですが、大変だったのは通訳の栗原雅美さんでした。
    何しろ3時間も独日の往復の通訳をひとりでこなされたのです。わたしも若い頃は市民運動でのきつい通訳の経験がたっぷりありますので、ハラハラしながら聴いていました。体力の限界まで彼女の 専門であるギリシャ哲学とは全く関係のないテーマで立派に通訳をして下さった栗原さんに感謝いたします。これに懲りずに今後ともよろしくお願いいたします。

    フクシマ環境亡命者の参加

    次は、今回の集まりには、上杉氏の講演内容のような状態の日本から、フクシマ環境難民としてベルリンに避難してきている3人の日本人の方が参加していました。事実上の亡命者です。この方々についてはいずれ回を改めて報告したいとおもいます。

    「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」

    さて、もう一点非常に重要な指摘が質疑応答の中でありました。「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」に関することです。これについてはあまりにも長くなりすぎるので次回の後編で述べさせていただきます。

    とりあえずは、初めてドイツを訪問されて日本の現状報告をして下さった上杉隆氏、主催された3団体、そして熱心に参加されたみなさまにお礼申し上げます。

    2012年4月15日日曜日

    86;「がれき受け入れ問題」に関し、内部被曝研が環境省に意見書を提出

    昨年、11月27日にドイツ放射線防護協会が、日本政府が始めた「放射線汚染物拡散」の件も憂慮して、→日本政府に対し勧告を出してたことは当時お知らせしましたとおりです。
    その後、日本政府は全国の自治体のがれきを受け入れるに関して、「放射性物質汚染対処特措法施行規則改正案」を準備し、環境省はホームページで「放射性物質汚染対処特措法施行規則改正案について、平成24年4月3日(火)~4月9日(月)までの間、広く国民の皆様の御意見をお聴きする→パブリックコメントを実施します」と意見公募を通達しました。
    なんとこれほど重大な件で、わずかに一週間の期間であることにも驚かされますが、市民と科学者の内部被曝問題研究会が、さっそくこの法律の問題点を専門的立場から厳しく指摘する→意見書を提出し公表しました。

    この意見書では(2)で「そもそも、わが国の現状は、原子力施設外の市民生活の場における汚染許容基準が原子力施設内の80倍から1000倍以上という、完全に転倒したダブルスタンダード(二重基準)が野放し状態になっており、決して容認できるものではない」と指摘していますが、このような法律を施行して全国に放射能汚染を拡散させる日本政府の頭の中は、尋常ではありません。
    このままでは、汚染を免れている市民生活の地域までを原子力施設敷地内以上に汚染させてしまいます。これは「日本全国のフクシマ化」です。
    また、(3)では、特に議論になっている「焼却処理」の問題点/危険性についても、わかりやすく専門的知見からの指摘がなされています。

    日本の大手メディアが、このような矛盾や問題点を指摘しないのは、いったい何としたことでしょうか? これも批判力という咀嚼する歯がまるっきり抜けてしまっており異常としか言えません。ドイツの批判的で健康なメディアであれば「狂っている」と指摘し、厳しく批判するでしょう。民主主義は批判の歯で噛み砕いて次第に成長するのです。

    毎日新聞が本日の福井県庁前の抗議の写真を掲載していますが、「えだNO!」 このような報道が主流になって初めて、日本も脱原発を実現できるのです。
    県庁舎に向かい声を上げて抗議する人たち=福井県庁で2012年4月14日毎日新聞松井豊撮影


    大飯原発の再稼働が強行されようとしている今、この問題で憂慮する皆さまによって、放射能拡散を防止するために、是非ともこの「全国の住民に無用な放射線被曝を強制する人権無視の法案」を正面から批判する意見書を拡散していただきたいと願います。
    なぜならこの問題は、日本の子どもたちの健康、すなわちわたしたち大人が、最低限の責任を問われている緊急事態であるからです。

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    「放射性物質汚染対処特措法施行規則改正案に対する意見」


    環境省の改正案:「事業活動に伴い生じた廃棄物については、対策地域内廃棄物から除外し、当該廃棄物を排出した事業者が、事業系一般廃棄物又は産業廃棄物として、自ら処理を行うこととする。」

    ●意見の要約 :
    本改正案は、全国の住民に無用な放射線被曝を強制する人権無視の法案である。特に子どもや胎児の健やかな成長を第一に考えるべき国の本来の政策の対極にあり、絶対に容認できない。
    ●意見及び理由 :
    <意見> 警戒区域・計画的避難区域内の放射能汚染度の低い残留物や廃棄物であってもこれらを一般廃棄物あるいは産業廃棄物として処理してよいことにする規則改正は、絶対に容認できない。
    <理由> この改正案には、以下のような問題がある。

    (1) (放射能物質処理の一般原則)
    放射性物質は、封じ込め、拡散させないことが国際的な原則である。放射性微粒子による内部被曝は少量といえども大きな危険が存在することは常識となってい る。従って、放射能に汚染された物は「拡散してはならない、燃やしてはならない。」これが人間の命と環境を保護する鉄則である。

    1)放射能汚染された廃棄物を汚染地域外に持ち出すことは、いのちに危害を及ぼす放射性物質の存在地域を広げることであり、持ち出しはしてはならないので ある。放射性物質を原発では「封じ込める」ことに務めていたはずが、いったん爆発して外に出ると「拡散させる」は如何に不見識で乱暴な行為であることか を、法治国家として認識すべきである。

    2)放射能汚染度が高いところに野積みにされたりした廃棄物には放射能汚染があることは言うまでも無い。本特措法はこれら高度の放射性汚染物質を汚染の低 いところに持ち出すことであり、行ってはならないことを「法」の名を持って、実施させることであり、かかる規則改正は行ってはならない。

    3)廃棄処分される多くの場合いったん焼却される。焼却処理すると2次被害を作り出す。瓦礫に放射性物質が付いているままでも、大気、地下水、漂流水、海 水、土を介して自然生活環境を汚染するので、汚染物と自然生活環境は遮断しなければならない。しかしこれを燃やすと、さらに厄介な健康障害の原因物質が生 み出される。吸い込んだり食べたりできる姿に変えてしまうのである。放射性微粒子が空気中に広がったり、残灰が一般ごみと同じ処理をされて、再利用されて 生活の場を被曝させる状態に持ち込むことは、厳禁である。生活の場近くに再利用されたり、田畑にまかれたりすることはさらに被曝を住民にもたらすこととな る。焼却という2次被曝の操作だけでなく、一般ごみと同様に処理することは、焼却と同様な2次被害を及ぼすこととなり、放射能汚染物質の処理の原則に反す る。

    いのちと環境を守るための鉄則を破り、国や行政が決して行ってはならない「市民の健康を傷つける可能性」を開き強制する本特措法案は、誠意と配慮に欠けた最悪の法案である。

    (2) (つじつまの合わないダブルスタンダード)
    我が国の現状は、事業所(原子力発電所)内から排出される放射性セシウム(Cs-137 )が100ベクレル/キログラム以下(「原子炉等規制法」)の低レベル放射性廃棄物は、ナベやフライパンなどの台所用品や公園のベンチなどに
    リサイクルすることが認められている(クリアランス制度)。この点は、去る3月26日衆議院第一議員会館で開催された環境省交渉でも、厳しく追及されたき わめて重大な問題点である。ヨーロッパでは、1997年クリアランス法がEU議会に提出されようとしたとき、低レベル放射性物資による内部被曝の危険性に 留意して、放射性物質の拡散を容認する同法案は阻止されたという経緯がある。クリアランス制度は国際的にも厳しく批判されている制度である。本来、日本政 府も、本「放射性物質汚染対処特措法」はもとより、放射性物質のクリアランス制度も廃棄するべきである。

    ところが、政府は、昨年6月、事業所外では放射性セシウムが8000ベクレル/キログラム以下の廃棄物について、一般廃棄物最終処分場(管理型最終処分 場)での埋め立て最終処分を認め、8月には8000ベクレル以上、10万ベクレル以下の焼却灰などまで一定の条件下の管理型最終処分場(ビニールシートな どによって地下水への移行が遮断されるというが、ビニールシートなどの劣化は早く、地下水は早晩放射性物質によって汚染されると考えなければならない)へ の最終処分を認めた。さらに12月には、管理保管できる遮断型処分場の場合は10万ベクレルを超えるものまで処分できるようにした。遮断材であるコンク リートの寿命はたかだか数十年であることを考えれば、このような措置は市民の健康と環境保護の視点に欠ける。

    そもそも、わが国の現状は、原子力施設外の市民生活の場における汚染許容基準が原子力施設内の80倍から1000倍以上という、完全に転倒したダブルスタンダード(二重基準)が野放し状態になっており、決して容認できるものではない。

    (3) (住民の健康と環境こそ守るべき本体)
    放射能汚染度が極度に高いために設定された警戒区域・計画的避難区域から出る廃棄物を、「事業系一般廃棄物又は産業廃棄物」として処理することは法理に反するものである。

    そもそも政府は憲法25条に基づき、国民の文化的で健康に生きる生存権を保護し、その忠実な実施に徹すべきであるが、上記のような措置は、国民の命と環境保全をあまりにも軽視するものである。

    一般市民が「事故が起こったから放射線に対する抵抗力が20倍になる」はずはないが、政府は事故直後、公衆に対する被曝限度値を1ミリシーベルト/年から 20ミリシーベルト/年に引き上げた。この特措法はそれらと同様、法の視点から国民保護を捨て去ったものであり、許されるものではない。

    (4) (特に焼却処理について)
    現時点での放射性物質の主成分は放射性セシウムである。セシウムの沸点は他の多くの金属類と比較して低く、678℃ほどであり、融点は28.4℃である。 (融点以上ではセシウムは液体であり、沸点以上では気体となる。)一般焼却炉ではダイオキシン発生を避けるために燃焼温度を800℃くらいに保つ定温燃焼 をしている。しかし、800℃では放射性セシウムは完全に気体状態になる。とくに問題なのは蒸気圧の高さである。蒸気圧とは、例えば、水は100℃で沸騰 し、それ以下では液体であるが、100℃以下でも空気中に気体状態の水分が含まれている。通常空気中に含まれる水分を“湿度”と呼び日常生活に溶け込んで いる。これと同様に、バグフィルターの通過ガス温度約200℃でも放射性セシウムは100パスカル(1000分の1気圧)ほどの蒸気圧があり、これら気体 状態の放射性セシウムはバグフィルターに捕獲されることはない。

    さらに、融点が28℃近辺と低いことは放射性セシウムの原子としての結合力が低いことを意味し、200℃ほどのバグフィルター通過温度では、仮に放射性セ シウムが単体であるとした場合は液体であり、固体微粒子となる他の物質に比べて極めて通過しやすい。他の原子などと結合して、微粒子になるとしても原子の 結合力が他の大方の金属等に比べて弱いために、大きい微粒子は形成しにくい傾向にある。一般のごみ処理用に設計されているバグフィルターでは、かなり大量 に空気中に漏れていくことが予想される。

    加えて、セシウムに比べ骨や歯への蓄積性はるかに高いストロンチウム90や極めて毒性の強いプルトニウム239を無視した現行の対応は、決して容認できるものではない。

    以上のように一般ごみと同様に焼却する場合には、セシウムの漏洩は大量であることが予測され、放射性がれきの汚染ゴミも一般焼却炉では処理してはならな い。従って、本法案が前提としている「一般ごみ同様に」処理する方法には大きな問題がある。もし、焼却する場合の鉄則は専用炉で行わなければならない。 依って本施行規則改正案は認められない。
    以上

    2012年4月9日

    市民と科学者の内部被曝問題研究会
    (略称 内部被曝問題研)
    代表 澤田 昭


    ==================

    (4月16日以下の追加情報です。)→大沼安史さんの注目情報より。
    〔注目サイト〕 
    放射能メモ ☆ →がれき受け入れ困難を表明した市町村 一覧(13日)
    ◇→  がれき受け入れ中及び準備中の市町村 (同)


    =================
    以上ですが、全国の→がれき受け入れ自治体のマップを秋田県の市民団体が作成しているものを、少し古い本年2月のものですが、お借りして挙げておきます。

    2012年4月12日木曜日

    85;ギュンター・グラス、イスラエルの入国禁止措置を東独の秘密警察と似ていると回答

    先の第84回で伝えました4月8日のイスラエル政府の入国禁止措置に対して、ギュンター・グラス氏は4月12日の「南ドイツ新聞」の文化欄に短い回答を寄せました。これは散文詩ではありませんが、以下に訳出しておきます。

    4月4日のイスラエル批判詩(第83回に翻訳とともに紹介)以来、ドイツとイスラエルでは「イスラエルの先制攻撃の意図だけを強調し、ホロコーストを否定しイスラエルを地図から消すと主張するイラン政府の脅威を指摘しないのは片手落ちであり、そのため彼は反ユダヤ主義に口実を与えている」との批判が多くでています。この批判は私にも納得できるものです(良い例が→ミシャ・ブルムリック)。また、入国禁止措置はイスラエルでもリベラル派から多くの厳しい批判がでています(例えば、→ヨラム・カニイク「作家をボイコットする者は、終わりには焚書をする」)。
    また、イスラエルの内務大臣と作家同盟などは、グラスからノーベル賞を剥奪すべきだと要求しましたが、スエーデンのノーベルアカデミーは直ちに、それを→根拠にならないとして拒否しています。

    今回の「回答」で、グラスは「今もなおイスラエルの思い出は生きている」と述べていますが、彼が1967年 イスラエルに招待され、歓迎された際の写真です。イスラエルの新聞が先日掲載しています。イスラエルのノーベル文学賞受賞作家シュムエル・ヨーセフ・アグノンと対談している時のものです。
    Günter Grass (l) bei einem Treffen mit dem israelischen Literaturnobelpreisträger Schmuel Josef Agnon.1967 
    (© dpa)

    その一方で、グラス氏は正しいとする意見も、ちょうどドイツ全国の80の都市で行われた恒例の「復活祭平和行進」などで強調されています。
    ギュンター・グラスを支持する復活祭平和行進 2012年4月9日.フランクフルト・マイン 写真:dpa
     いずれにせよ、グラスの最大の懸念が、多くの核兵器を保持しておりながら、核拡散防止条約に加盟せず、国際機関の管理外にあるイスラエルの危険性にあることを、この回答で再度明確に表明されています。それを無視し続けている西側の偽善をさらに強調したものです。

    また、先月就任したばかりのドイツのガウク大統領のイスラエル訪問が、おそらく5月にも計画されていると報道されていますが、このグラス問題がそこでどう扱われるかが焦点になりそうです。なぜなら東独出身のガウク氏は、統一後に旧東独国家保安省の記録を管理保存し公開する機関の責任者を長く務めた人物でもあるからです。回答にあるグラスの東独秘密警察による監視の記録もそこにあります。

    以下電子版掲載分からグラス氏の本文のみの翻訳です;

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      当時も今日のように=最近の決定に対する私の回答

      

     三度、私は入国を禁止されたことがある。ドイツ民主共和国、略称DDRが、姓はミールケという国家保安大臣*のご命令で行ったのが始まりだ。そしてこの人物こそが数年後に禁止を解除しはしたが、そこで予期される入国に際しては「破壊的要素として」格付けした人物として私への増強した監視を指令したのだ。
    妻と私が1986年に数ヶ月間、西ベンガリの首都カルカッタに生活したとき、私たちは「望ましからざる」との理由でビルマへの入国が拒否された。この二つの件は独裁制においての通常な実務として遂行された。

     しかし今、イスラエルという民主制の国の内務大臣が、私を入国禁止で罰して、彼によって下された強制措置は=その語り口からして=ミールケ大臣を想起させる。とはいえ彼は、私の何度ものイスラエルへの旅での有益な想い出を生き生きと保つことを妨げることはできはしない。

     いまもなおユダヤの砂漠の静寂はそこにある。いまもなお私はイスラエルの国に消しがたく感謝している。いまもなお私は私の故郷ダンチッヒのユダヤ教会の法律顧問エルヴィン・リヒテンシュタインと対話をしている。そしていまもなお友人たちとの果てしない夜の議論が耳に残っている。彼らは(勝利の戦争の後に**)占領者としての彼らの国の未来について争っていたが、みなはしかし、四〇年後に脅威的な危機にまで育つことになった憂慮に満たされていた。

      DDRはもうない。しかし管理されない規模の核大国として、イスラエル政府は専断を自明としており、これまでいかなる警告も届いてはいない。=ただビルマだけに小さな希望が芽生えている。

    (訳注)*東ドイツの国家保安省(秘密警察諜報機関、いわゆる「スタージ」)の大臣エーリッヒ・ミールケ。ドイツ統一後の1993年にワイマール時代の警察官殺害の容疑で懲役6年の有罪判決。「破壊的要素」はスタージの内部用語で破壊し排除する対象とされた人物ないしは組織などを示す。
      **1967年のいわゆる「六日戦争」。この時、イスラエルは先制攻撃で大勝した。

    2012年4月12日「南ドイツ新聞」掲載 (翻訳;梶村太一郎)




    「南ドイツ新聞」→電子版の原文は以下のとおりです:

    Damals wie heute - Meine Antwort auf jüngste Beschlüsse

    Dreimal wurde mir die Einreise in ein Land verboten. Die Deutsche Demokratische Republik, kurz DDR genannt, machte auf Geheiß des Ministers für Staatssicherheit, namens Mielke, den Anfang. Und er ist es gewesen, der Jahre später das Verbot zurücknahm, jedoch für die zu erwartenden Einreisen der "als zersetzendes Element" eingestuften Person verstärkte Observierung angeordnet hat.
    Als meine Frau und ich im Jahr 1986 mehrere Monate lang in der westbengalischen Hauptstadt Calcutta lebten, wurde uns mit der Begründung "unerwünscht" die Einreise nach Birma verweigert. In beiden Fällen wurde die in Diktaturen übliche Praxis vollzogen.

    Jetzt ist es der Innenminister einer Demokratie, des Staates Israel, der mich mit einem Einreiseverbot bestraft und dessen Begründung für die von ihm verhängte Zwangsmaßnahme - dem Tonfall nach - an das Verdikt des Ministers Mielke erinnert. Dennoch wird er mich nicht daran hindern können, meine mir hilfreichen Erinnerungen an mehrere Reisen nach Israel wachzuhalten.

    Immer noch ist mir die Stille der Judäischen Wüste gegenwärtig. Immer noch sehe ich mich dem Land Israel unkündbar verbunden. Immer noch befinde ich mich im Gespräch mit Erwin Lichtenstein, dem letzten Syndikus der jüdischen Gemeinde meiner Heimatstadt Danzig. Und immer noch sind mir die endlos nächtlichen Dispute mit Freunden im Ohr. Sie stritten sich (nach siegreichem Krieg) über die Zukunft ihres Landes als Besatzungsmacht, waren aber auch voller Sorge, die sich vierzig Jahre später zu einer bedrohlichen Gefahr ausgewachsen hat.

    Die DDR gibt es nicht mehr. Aber als Atommacht von unkontrolliertem Ausmaß begreift sich die israelische Regierung als eigenmächtig und ist bislang keiner Ermahnung zugänglich. - Allein Birma lässt kleine Hoffnung keimen.