2014年4月22日火曜日

243:オランダ紙:「世界を敵に回す安倍政権の『慰安婦検証』は気違い沙汰」イアン・ブルマ氏論評

 安倍晋三首相はオランダ訪問をした3月24日に、アンネの家を訪問して、最近日本で起こった「アンネの日記破損事件」について「大変残念である」と述べています。これでこの事件は、国際的には決着がつけられたと日本政府は考えているかもしれません。
 ところが、そのオランダの最有力紙であるNRCハンデルスブラットが、4月11日に→「世界を敵に回す日本」との見出しで、安倍政権がやろうとしている「慰安婦問題検証」は「気違い沙汰」であるとする→イアン・ブルマ氏の論評を掲載しています。

 なぜ安倍政権は外から見れば「気違い沙汰」を行っているのに、国内ではそうではないのかを指摘したものです。安倍首相は今月29日からヨーロッパ諸国を10日ほどかけて歴訪しますが、このような世界世論に一体どう対応するつもりなのでしょうか。
 国際的にもよく知られている知日派で多くの著作もある、このジャーナリストの視点を、相次ぐ世界中からの安倍政権批判の典型のひとつとして紹介させていただきます。
 村岡崇光ライデン大学名誉教授がオランダ語から翻訳されたものを以下そのまま紹介致します。一点だけ、引用者梶村の注をつけました。

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 村岡崇光訳                                                                      イアン・ブルマ

                             「世界中を敵にまわす日本」

  安倍首相が何を狙っているのかは理解に苦しむことがある。彼が最近考え出した
ことは気違い沙汰と言っても過言ではなかろう。1993年に時の日本政府が戦時中日本軍の性奴隷とされた女性たちに謝罪したことははたして正しかったかを検証するため
に歴史家から成る委員会を設置しなければならない、というのである。

   最近安倍の何人かの助言者達が、あの謝罪は正当ではなかったという発言をした
ことからして、日本政府には日本軍の慰安所に関しては何らの責任も無く、よって謝
罪は撤回してしかるべきである、という結論は前記の委員会には自明のこととなろう。
しかし、これに対する反響には相当厳しいものがあり、あの時の謝罪は謝罪として残
す、と約束せざるを得なくなったが、しかし彼がこういうことを持ち出したというこ
とから首相が祖国の歴史をどのように捉えているかは明らかになった。

   自国の過去の歴史のなかのあまり芳しからぬ側面をぼかそうとするのは勿論日本
だけに限らない。日本が降伏してからオランダがインドネシアで行ったことに対して
どこまで謝罪すべきかは今なお争われている。スターリンによる大量虐殺については
ウラディミール・プティンの政権下の国粋主義的な歴史記述では触れられることがな
い。天安門広場や中国の多くの他の場所に於ける虐殺についても公式の歴史からは消
されている。

   しかしながら、日本は思想表現の自由を許された民主国家である。1993年の謝罪
は、日本人のある歴史学者が、戦地での慰安所には日本が国家として直接に関与して
いたことを証拠だてる文書を発見したことに端を発する。当時の日本軍の上層部は、
日本軍兵士によって大多数の女性が中国で強姦されたことによって中国人男性たちか
ら激しい抵抗があったことを甚だしく憂慮した。それ故、占領地においては、インド
ネシアを含めて、女性を強制あるいは誘拐して前線の日本兵のための慰みに使う方が
得策である、と結論された。

   日本政府はこの点を公式に認めた。とすれば、この厄介な問題を今頃になって安
倍は何故またもや持ち出すのであろうか? 日本と近隣諸国との関係は、そうでなくて
さえ既に長いこと悪化したままになっているのにである。謝罪の撤回は中国と韓国と
の関係を今より遥かに悪化させるに決まっている。

   安倍やその同志達の言動は、彼等が他の国に対して多少とも理解あるいは関心を
もっていることを示していたのであれば、確かに謎と言わなければならない。しかし、
政治家、ことに右翼の国粋主義者にあってはまま見られるところであるが、彼らの関
心は自国の国境の先まで届かないのである。安倍のような日本の国粋主義者達が歴史
を書き換えようとするのはフィリッピンやインドネシアは言わずもがな、中国や韓国
とは大して関係ないのである。彼らの関心は日本国内の政敵に向けられているのであ
る。

   日本人が自国の現代史をどのように見るかは彼らの政治期的視点によって著しく
規定されており、その視点には互いに正反対のものが多い。戦時中の歴史についての
論争は日本が連合軍によって占領されていた40年代に遡る。米国は日本を根本的に変
革して今後は戦争に走ることは考えられないようにしよう、と願った。

   天皇の神格化は廃絶された。教育からは軍国主義的、封建的要素は一切払拭され
なければならなかった。米国は、軍事力に訴えることを不可能にするような平和主義
的新憲法を起草した。日本軍の指導者達は極東裁判において、ニュールンベルグのナ
チと同様に、「平和に対する蕃行」、「人間性に対する犯罪」を基準として裁かれた。(*引用者注)

   大多数の日本人は、戦争に疲れていたので、この点において大して問題を感じな
かった。しかし、少数ながらこういった処置を日本に対する侮辱と受け取った国粋主
義者達がいた。彼等の目からすれば、日本はその尊厳を、そしてもっと重要なことは、
その主権を剥奪された、というのであった。日本は自国の安全に関して米国にすっか
り依存することになったので、アメリカの属国になった、というのであった。

   上記の少数派の国粋主義者の一人が岸信介であった。彼は、当初は戦犯として逮
捕されたが、後年総理大臣になった。彼の目指した所は平和憲法を改定し、ふたたび
学校教育で愛国心を涵養することによってアメリカが導入した改革をある程度まで無
効にしよう、というにあった。しかし、大多数の日本人は多少とも軍国主義に匂いの
するものは一切受け付けなくなっていたので、この試みは挫折した。

   さらにまた、80年代までは学校教育のみならず、一部の新聞、雑誌も相当左翼的
な思想に支配されていた。身の毛のよだつような戦争中の体験は教育及び律法の場で
歴史修正主義を抑制する方向に働いた。これに対抗して、右翼国粋主義者達は日本軍
による蕃行に関する話しは甚だしく誇張されており、外国人がでっち上げたものもあ
る、と主張した。

   1937年の南京大虐殺や日本軍の慰安所の性奴隷に関する出版物は自虐的史観の産
物、あるいは極東裁判の時の宣伝に過ぎない、と片付けられた。

   日本の現在の国粋主義の根底に横たわるものがまさにここにある:アジアのために
戦った輝かしい日本の戦いを黒く塗りつぶすことによって「左派のエリート達」は日
本国民の精神的支柱を覆そうとしている、というのである。日本の左派は、西欧世界
に於けると同じように、ソ連邦の崩壊後、相当な痛手を蒙り、右翼が謂うところのこ
の「左派のエリート達」の影響力は著しく後退し、それにかわって右翼の発言力はい
よいよ強まるようになっている。

   戦地における慰安所には別に問題はなかったとか、南京大虐殺はでっち上げられ
た嘘に過ぎないというようなことをへいちゃらで公言出来るような友人をNHKの理事に
安倍が任命出来るのも驚くにあたらない。何が真実か、というようなことは問題でな
い。すべては政治の問題に帰する。

   ここで安倍がやっているゲームは危険なゲームである。こういう言動によって彼
はアジアの同盟国に真っ向から対立することになり、米国も不快感を表明しており、
中国との関係はいよいよ厳しい試練に立たされている。その結果、日本はアジアに友
人を失い、いよいよ孤立を深めている。中国の勢力が日増しに増大しているのだから
尚更問題である。日本の安全を保障出来るのは合衆国だけである。こうして日本は嘗
ての仇敵にいよいよ依存せざるを得なくなるのであるが、その米国が日本に戦後導入
した改革をもとに戻そうとする安倍の政策は狂気の沙汰としか呼べない。

NRC Handelsblad紙、11 April 2014
イアン・ブルマの著書の一つにThe Wages of Guilt: Memories of War in Japan
and Germany, イアン・ブルマ 「戦争の記憶:日本人とドイツ人」(石井信平訳:ティビーエス・ブリタニカ、1994年初版)がある。

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 *引用者梶村による注:村岡教授はオランダ語を忠実に翻訳されていますが、ここでブルマ氏が書いている「平和に対する蕃行」、「人間性に対する犯罪」は、法律用語としては東京裁判での訴因である「平和に対する罪」、「人道に対する罪」です。判決ではニュールンベルク判決とは異なり、後者の訴因は適応されなかった。

 ついでですが、「アンネの日記破損事件」と「慰安婦証言検証問題」については、梶村も、今月末発刊される『季刊 中帰連』54号の連載ベルリン歳時記で「過酷体験者の記憶の力から学ぶ」と題して執筆したところです。発刊後にここでも紹介させていただきます。

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